「唯我独尊な男4」 第6章
「説明って……げほっ……」
むっつりしながら恭夜はようやくソファーに座り直した。すると、今まで忘れていた痛みが首筋からやってきて、思わず咳き込んだ。
「あ、そこ、随分、赤くなってますから、後で冷やした方がいいですよ」
恭夜の顔を覗き込むようにして利一は言った。ヘンリーが締め上げていた場所を差しているに違いない。
「大丈夫だろ……それより、隠岐が来たのはやっぱりあいつ?」
「ええ……迷惑千万なことですが、またジャック先生から連絡をもらって来たんですよ」
急に、利一は眉間に皺を寄せて嫌そうな表情になった。毎度、ことあるごとに呼び出されているのが気に入らないのだろう。もし恭夜がその立場なら、同じような反応を示すに違いない。
「わ……悪いな。ほら、俺は隠岐が見たとおりだったし、ジャックはいねえし……頼れる相手がお前しかいなかったんだよ……げほっ……」
恭夜は笑いで誤魔化そうとしたが、今度は喉が痛んで咳き込んだ。
「無理に取り繕う笑いなんてしなくていいですよ。……で、ジャック先生から連絡をもらったのはいいんですけど、事情を聞いて驚きました。恭夜さんが拉致されそうだって聞いたものですからね」
小さなため息を利一はついたが、優しげな口調とは違い、意外に口から出る言葉は手厳しい。
「……それはさあ、ジャックを実家に戻したい親父さんが、自分ちの執事に命令して俺を先に連れ帰ろうとしたんだよ。そうしたらジャックも渋々実家に戻るんだと考えたんだろうな」
「このマンションの周囲は包囲されていると聞きました」
「え……あ。そうらしいよな」
ジャックがどこまで恭夜の状況を把握していたのか分からないが、かなり詳しいところまで知っていたことに驚きつつも、あの男のことだからそのくらい知っていただろうとも思った。
「仕方なしに、ジャック先生に頼んでヘリを用意してもらいました。はっきり言いましょう。事件でもないのに、警視庁のヘリを手配するなんて、一介の刑事には権限がありませんからね。とりあえず、ワイヤーで屋上から降りるつもりだったのですが、更に窺うとマンションのガラスは簡単に割れないと聞きました。仕方なしに、途中、友人に連絡を取って彼の勤める新聞社に寄り、社会部の記者を連れてきました。ベランダでもう一人いた男性はその友人です」
淡々と利一は話していた。だが、社会部の記者を連れてきて、一体なにをしたのだろうか。
「……社会部の記者?」
「ええ、恭夜さんが拉致されそうになっている姿をカメラに納めていただいて、同時に恭夜さんのところに電話をしました。あの、例のおじいさんが出たところでこう言ったんです『私の隣にいる、カメラを構えている男性はアメリカで言うニューヨークタイムズ級の新聞社に勤めている日本の記者です。拘束しようとしている男性を解放しないなら、この現場の写真をでかでかと一面に飾りますよ。今、日本では拉致という言葉に非常に敏感になっていますからね。そうすると貴方の仕えていらっしゃる方に問題が飛び火することは避けられません。どうされますか?』と聞いたんです。あっさり恭夜さんを離してくださいましたよ」
そう言ってにっこり笑う利一に、どことなく恐ろしいものを感じつつも、恭夜は「いろいろ面倒を掛けて悪かったよ……」と言った。
「ほんっと~に……いつもいつもですよね。私は、ジャック先生のアシスタントじゃないんですよ。もう。一体、どうなってるんですか……」
利一は呆れた様子を見せているが、心配しているような口調も混じっていた。
「……だからさあ、ジャックを実家に戻したい親父さんが、あの手この手を考えているんだよ。なんでも……そうそう、今度、出世するとかしないとか言ってたな……」
サイモンが話していたことを思い出すように、恭夜は目を彷徨わせた。
「……ジャック先生の父親といえば、ヴィンセント・ライアン氏ですよね。じゃあ、この方、やっぱり副大統領になるんですか?」
うーんと唸りながら利一は鼻の頭を掻いた。だが、恭夜は初めて知ったことだった。
「はあ?なんだよそれ……」
「……なんだよって、恭夜さんこそ新聞読まないんですか?ほら、副大統領の体調が思わしくなくて、つい最近病院に入院されたんですよ。それで、職務を全うできそうにないから変わりの人間を選任するのでは?という話が出てるんです。今のところ決定ではないそうですけどね。副大統領の病状がどれほどのものか、新聞にも書かれていませんし……。ただ、すぐに治るものならこういった話は飛び交わないでしょう……」
「俺……そういうことあんまり興味ないから……」
だから、サイモンはジャックにSPがつくと話していたのだろう。では、ヴィンセントが副大統領に就任する話は決定なのだろうか?この辺りは恭夜にも分からないし、あまり首を突っ込んで知りたいとも思わないことだ。とはいえ、ジャックと一緒に暮らしている恭夜だ。無関係を通すこともできないに違いない。
「興味ないって……。一応、ジャック先生のお父様でしょう。もう少し、どういった方か知ろうとしませんか?」
驚いたように利一は言うのだが、本当にどうでもいいことだと恭夜は考えていたので、逆に利一の問いかけに困った。
「……確かにでかい家に住んでいて、金持ちだな~とは思ったけど……。なにをしてるのかとか、あんまり俺、気にならないし、人のことを詮索するの嫌いだから、知りたいとも思わなかったんだよな……」
これが恭夜の本音だった。
既にジャックの実家を目の当たりにして金持ちであるということが分かっていた。あれほどの財産を持っているのだからそれなりに歴史のある家柄で、さらにそれらを現在も維持しているということは、ジャックの父親が相当の権力を持ち、随分と地位のある人間であることなど聞かなくても分かる。恭夜にはそれだけで充分だった。
「恭夜さんって……」
肩を竦めて利一はため息をついた。
「あ、いま、俺のこと馬鹿にしただろ」
「馬鹿にはしてませんけど、呆れてます……」
チラリと視線を寄越すが、利一は肩を竦めたままだった。明らかに馬鹿にしていると恭夜には思える。
「……だってさあ、俺はジャックと付き合ってて、ジャックの家柄と付き合ってるわけじゃねえもん。それによ~、アメリカ大統領は普通誰でも知ってるだろうけど、じゃあ、副大統領って誰?って話になったら知らない日本人は多いと思うぜ」
「恭夜さん。普通は副大統領も知ってますけど、まあ、確かにそれは一般の方でときたまいらっしゃいますね。ただ、恭夜さんの恋人のジャック先生は普通の家柄の方じゃないんですよ。変わった方ですけど……」
「それは知ってるけど、だからな、俺はどうでもいいから気にしなかったんだよ」
恭夜の言葉に利一は満面の笑みでこういった。
「恭夜さんっていい人ですね~……」
「あ、お前。また俺を馬鹿にしただろ」
なんだか、こう、先程から利一に妙に小馬鹿にされているような気がして仕方がない。
「え、馬鹿になんてしてませんって。気のせいですよ。それより、ジャック先生はいつお戻りなんです?あの方、そう言うことは一切話さずに、さっさとご自分の言いたいことだけ言うと切るんです。もう。困りましたって……」
「ジャックってそう言う奴だから……放って置いたら帰ってくるんじゃないの?あ、煙草吸っていい?すげえ、無性に吸いたくなった……」
一応は助けてもらったのだろうが、これでサイモンがあっさり手を引くとは思えないのだ。この場合はジャックの父親であるヴィンセントが諦めないだろうということになるのだろうが。
「どうぞ」
床に転がっていた灰皿を拾い、利一が差し出してきた。先ほどの騒ぎでテーブルに置いてあった灰皿が床に落ちたのだろう。
「わりいな……」
ポケットから煙草を取り出して一本口に銜える。火をつけて一服したところで、利一がまた口を開いた。
「これであのおじいさんたちがおとなしく退いてくれるとは思えない状況ですね。どうせまたやってきますよ。ジャック先生がいたら、こうもいかないでしょうけど。恭夜さん、どうします?」
「……俺が知るか……」
「そんな、投げやりな態度でどうするんですか」
まるで母親のような口調で利一は恭夜を諫める。
「投げやりじゃねえけど……。俺だってまだ、混乱してるんだって」
「あのですね。ジャック先生は私に連絡をしたことで、『ハニーはもう隠岐に任せたから大丈夫だ』なあんて考えてるに決まってるんです。私は言われたことをとりあえず実行しましたから、もうこれで綺麗さっぱり仕事は終わったと考えていますが、ジャック先生は違うと断言できますね。どうせ、ご自分が帰るまで、恭夜さんのことを私に任せた気に、間違いなくなってます。これって、すっごく迷惑ですけど」
刺々しいいい方で利一はそれでも淡々といったが、ちょうど、話し終えると同時にまた来客を告げるベルが鳴る。思わず二人とも玄関の方へ顔が向いた。
「……ひっきりなしに来るんですか?」
げんなりしたような顔で利一は玄関の方を見たままだ。
「俺が知るかっ!」
急いで立ち上がって恭夜がインターフォンの画面を覗き込むと、見たこともない外人が立っているのが映し出されていた。