Angel Sugar

「唯我独尊な男4」 最終章

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 朝目覚めると、恭夜は何時もいるはずのジャックの姿が見あたらないことに気付いた。目を擦りながら身体を起こし、サイドテーブルに目をやると、メモが一枚置かれていて、そこには『すぐに戻ってくる。それまでにシャワーを浴びて着替えておけ』と書かれていた。サイドテーブルにはメモだけではなく、ご丁寧に恭夜の着替えも用意されている。
 ジャックはなにかの打ち合わせでもしているのだろうと、恭夜は軋む身体を起こし、バスルームに向かった。
 昨夜、恭夜はセックスした後、話しもそこそこに眠ってしまったが、珍しいことにジャックはそれ以上求めてこなかった。ジャックなりに恭夜のことを気遣ってくれていたのだろう。もっとも本当に気遣ってくれていたのなら、手など出さない。いや、単にジャックは性欲に正直なのだ。言い換えれば本能に忠実な男なのだろう。
 なんでもいいか……すんじまったことだし。
 恭夜はよろけつつもバスルームに入り、傷口を巻いている包帯を避けるようにシャワーを浴びた。柔らかい湯気が肌を撫で、熱い湯がようやく鈍い身体を目覚めさせてくれる。
 存分にシャワーを堪能して、恭夜はバスルームから出ると、柔らかいタオルで身体を拭った。鏡に映る己の顔はやつれることもなく、血色がいい。どこからみても健康的だ。怪我は隠すことができる。この顔色なら、日本に帰っても周囲から心配されることはないだろう。
 とはいえ、職場で自分がどういう扱いにされているのか、恭夜は非常に心配だった。まさか退職扱いにはなっていないだろうが、かといって休暇が申請されているとも思えない。利一に頼んでおけばよかったと、今ごろ後悔したが、もう遅い。
 はあ……。
 俺はいっつもこういうことで気を揉んでる……。
 しかも、俺は何のためにアメリカくんだりまで連れてこられたんだ?
 単にジャックの我が儘で、俺を仕事場に無理やり連れてこさせたような気がするんだけど……。
 いや、ジャックは恭夜が心配だったのだ。
 それだけは分かる。
 雫の乾ききらない髪を撫で上げ、恭夜は小さなため息をついた。
 恭夜がもっとしっかりして、強かったら……何かしらの権力を持っていたら……ジャックは心配するのをやめてくれるのだろうか。けれど腕力に自信もないし、かといって恭夜にとって権力など無縁の存在だ。
 俺は……このまま守られているばかりでいいんだろうか……。
 湯気に曇った鏡を指先で擦り、恭夜は自分の姿をじっと眺めた。そこにはどこにでもいるような、ごく普通の生活を送るただの日本人の姿が映っている。
 考えても無駄か……。
 恭夜は目を伏せて、バスルームを出ると、用意してある服をいそいそと身に付けて、ベッドに腰をかけた。
 腹が減っていることに気付いた恭夜は、冷蔵庫に近づいてドアを開け、とりあえずオレンジジュースの缶を手に取った。そうしてプルトップを開けながら、もう一度ベッドに腰をかける。
 それにしてもあいつ……遅いな……。
 オレンジジュースを一口飲み、サイドテーブルに缶を置こうとすると、カサリという小さな音が聞こえた。何だろうと周囲を見渡すと、入り口のドアの下に、メモらしきものが差し入れられていることに気付いた。
 不審に思いつつも、恭夜はドアに近寄り、二つ折りにされたメモを手に取った。

 あの事件は、君の知る者によって、すべてが計画されたものだった。

「……なんだよ、これ」
 一行、そう書かれたメモに恭夜は目を見開いた。筆跡に見覚えもなく、誰が書いたのか、それらしき記述はない。
 恭夜は慌ててドアを開け、廊下を見渡したが、誰の姿もなかった。これを差し入れた相手はすでにここから立ち去ったのだ。
 
 君の知る者によって、すべてが計画された――。
 
 あの事件……って、俺が記憶をなくした例の事件か?
 君の知るって……俺が知ってる奴ってことになるんだよな?
 ニールのことか?
 いや、ニールじゃないからこういう書き方をしてるのか?
 だったら、誰だよ?
 ふと心に浮かんだ相手を恭夜はすぐさま追い払った。
 これを書いた人間が、何を目的にしているのか分からない。今までの恭夜ならこのメモに書かれた言葉に振り回されていただろう。けれど今は違う。
 ジャックは恭夜を本当に大切にしてくれている。
 そして、いつだって守ってくれる。
 だからこんな手紙に振り回されて、恭夜は自分を見失いたくはなかった。
 いや、この書き方だと相手が特定できない。多分、特定できないように書き、恭夜を混乱させようとしているのだ。そんな手に引っかかる恭夜ではない。
 俺は……ジャックを信じてる。
 それだけでいい――。
 恭夜はメモを小さく――それこそ、判別できないほど細かくすると、ゴミ箱に捨て、忘れることにした。
 まだ俺の記憶にこだわる人間がいる。
 俺の記憶……。
 どこまで底があるんだろう……。
 もういいけどな。
「キョウ、準備はいいのか?」
 突然、ドアを開けて入ってきたジャックは、濃い藍色のスーツをサラリと着こなしていた。愛用のサングラスもかけている。
「え……あ、着替えたし、俺はいつでもいいよ」
「時間が迫っている。行くぞ」
 急かすジャックに恭夜は言った。
「俺……腹が減ったんだけど……」
「……キョウは本当に人の顔を見れば、腹が減ったと馬鹿の一つ覚えのように言うんだな。全く……後で嫌と言うほ食わせてやるから我慢しろ」
 深いため息をついてジャックは恭夜の手を引っ張る。
「悪かったよ……そう、いちいち怒るなよな」
 口を尖らせつつも、申し訳なさそうに言うと、ジャックはいきなり恭夜を抱きしめた。
「ハニー今度の飛行機は凄いぞ。エアフォース・ワンだ。大統領が訪日する日程に当たっていてな。同乗させてくれるそうだぞ」
「エ……エアフォース・ワン?」
 恭夜はジャックの言ったことが信じられず、大きく目を見開いたまま、唇を震わせた。
「そう、空飛ぶホワイトハウスだ」
「……おお……俺、じ、辞退する」
「キョウはいつだって謙虚だが、こういった誘いは断ると逆に失礼に当たるぞ」
「で、でも、お前、エアフォース・ワンだぜ。そんなの……のの……乗れるかっ!」
「キョウは私の上に乗ればいい。さあ、空飛ぶホワイトハウスで、淫らなセックスに励むとするか?」
 ジャックはことのほか嬉しそうに笑った。
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