Angel Sugar

「唯我独尊な男4」 第21章

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「まず、シェルターにはどういった装備が設置されているんだ?他にスペアがあるのなら、今すぐに降りてチェックをした方がいい。直ぐに用意しろ」
 ジャックの言葉に、テイラーはハッと気がついた顔で、携帯を取り出すとどこかに連絡を入れた。
「連邦捜査官のテイラーです。こちらのシェルターの内部間取りと設備の詳しい情報、スペアキーを至急用意していただきたい。うちの捜査員を直ぐに院長室へ向かわせます」
 テイラーの足らない言葉に、ジャックは横から「五分以内と言え。もう、カウントダウンは始まっている」と冷えた目つきで言った。すると、付け足すようにテイラーは「五分以内です」と伝えて携帯を終えた。
「私が行ってきます」
 捜査員の一人が、テイラーの会話を聞いていて、すぐさま立ち上がり、部屋から飛び出して行く。
「……すまん」
 吹き出した汗を拭い、テイラーは顔を赤くしている。
「……問題は通信設備だ。政府の要人が使うとすると衛星だろう。そちらを使用不能にすることくらい、天下のFBIには朝飯前だろうな」
「嫌みは勘弁してくれ……。多分、衛星の方は抑えられるはずだ。下のシェルターは病院が管理しているわけではなくて政府の管理になっているからな。そっちも手配する」
 テイラーがいいながら捜査員の方を向くと、会話を聞いている捜査員の一人がパソコンを叩き始めた。
「……最悪の場合、もしかして、ここに、核爆弾でも落とすつもりでいるんじゃないだろうな?だからシェルターに移動するのか?もちろん、パブロがこの病院に恨みを持っている……という場合だが……」
 恐る恐るテイラーはジャックにそう問いかけてきた。
「お前の部下達が集めてきたどうにもならんパブロの資料には、あの男の身内がここを利用し、医療ミスで死んだという事実など書かれていなければ、本人が利用して五体満足な身体で出られなかったということも無かった。もっとも副大統領をわざわざ拉致して病院を爆破しなくても、それが目的ならさっさとC4の束を仕掛ければ済むことだろう。だが、あの男はプロだ。やろうと思えばいくらでもできる」
 あまりにも貧相なテイラーの想像力にジャックは頭痛がしそうだ。
「そ……それも、そうだな」
「頭のいい奴が大量殺人を目論んでいたとしても、病院などどう考えても世間から非難を受けるような場所など選ばないはずだ。頭のいかれた奴なら策を弄することなどできん。目的を持ったテロなら分からんが、それなら、政府の建物を狙うだろう。もっとも、冷静で頭の切れるパブロだ。そんな男がテロを目的にしていると思えない」
「……そうか」
 理解しているのか、していないのか分からない顔つきでテイラーは頷いている。
「この話はもういい、それいより、私に任せてくれる気があるのなら、通路の警備は最低限にしてくれ。狙撃手など馬鹿馬鹿しくて話にならないぞ。いや、どちらかというと銃を持った特殊部隊がギュウギュウ詰めに配置されると私が暑苦しくて叶わないからな」
 金髪を掻き上げたジャックに、テイラーは当惑した顔つきで棒立ちだ。
「パブロと見合いをするのは構わないが、防弾チョッキくらいは着てくれないか?お前に何かあったらどうする」
「そういう小細工はしない主義だ」
 相手に信用させるのが基本の交渉術だ。なのに、にこやかな顔をして防弾チョッキやプロテクターに身を包んだネゴシエイターを見てそんな気になるわけなど無い。
「……お前の主義は分かったが、何かあっても知らないぞ」
 俯きつつ、腹を撫でるテイラーはため息をついている。
「何かあっても、撃つな。どうせパブロは副大統領を盾にして出てくるだろうからな。向こうが撃ったことに反応して、一発でも撃てばパブロではなく副大統領の腹に銃弾が着弾するぞ。まあ、脂肪の付き方がテイラーによく似ているから、うまくいけば肉で止まるだろう」
 ジロリと睨み付けるとテイラーは肩を竦めた。
「本気で言ってるのか?」
「私は生まれてこの方、冗談などという不毛なことは口にしたことがない」
 苛立たしげに何度も髪を撫で上げて、ジャックは両手を組んだ。
「……お前のやりたいようにしてくれていい。そう大統領からも厳命されている……」
「物わかりの良い人間ばかりでありがたいな」
 ジャックが組んだ腕を解き、片手を振る。
「もらってきました」
 息を切らしながら先ほど下に向かった捜査員が図面と書類を抱えて戻ってきた。それをテーブルに置いて広げる。
「キーは?」
 図面から顔を上げてテイラーが捜査員に聞くと、顔を横に振った。
「極秘扱いのキーで、この病院には副大統領に渡した一つしかないそうです。他に一つスペアがあるそうですが、そちらは国防省が管理していて、連絡を取ったところ、すぐに届けるように手配をしてくださいましたが、時間内にはとてもこちらへ届けることはできないそうです。本日夜半、もしくは朝方に到着します」
「分かった」
 テイラーは深いため息をついて、窺うような視線をジャックに向けてきたが、気付かない振りをした。無いものはない。どうにもならないことで愚痴を言う時間も浪費でしかないからだ。
「通信システムは停止できました」
 パソコンを叩いていた捜査員が嬉しそうに言う。
「助かったよ」
 テイラーが捜査員と話をしている間、ジャックは図面をチェックしていた。さすがに政府の要人専用のシェルターは強固で、外部から完全に独立した形になっていて、エレベーター以外の通り道がない。
 何故こんなところに移動したいのか、パブロの意図をジャックは計りかねていた。
「……テイラー。私はとりあえず通路に出る。時間が迫っているんでね」
 ジャックが部屋から出ようとすると、一番近い席に座っていた捜査員が慌てて立ち上がり、扉を開けた。
「悪いな」
 捜査員は軽く会釈して、緊張した面もちをしていた。ジャックは視線を向けることもなく、通路に出ると周囲の状況を確認した。
 奥の部屋に行く通路の真ん中辺りにはバリケードが膝までの高さの柵で施されている。それは頑丈な作りではない。柵の手前に重装備の狙撃手が三名、無表情な顔つきで立っていた。
 後ろを振り返ると、五、六人の捜査員がうろついていて、院内を繋ぐエレベータと非常口にそれぞれ二名特殊部隊の人間が配置されていた。この下の階が、現在ジャックやテイラー、そのほかの職員達の部屋として使われている。
「みんな、ちょっと聞いてくれ。会話をマイクで聞いてもう分かってくれていると思うが、今から被疑者のパブロが副大統領を盾にしてシェルターの方へ移動する。移動の間、下手にこちらが動くと副大統領の命が危ない。絶対に発砲はしないように」
 ジャックの後ろからやってきた、テイラーの言葉にチラリと視線を向けた特殊部隊の男たちは、緊張を隠すように深く帽子を被る。
「なあ、ジャック……」
 小声でテイラーが周囲を確認しているジャックに言った。
「なんだ?」
「本当にこれでいいのか?」
「方法は今のところないだろう?」
 ジャックは時間を確認して、パブロが立て籠もっている部屋の方を向く。
「出てくるのか……?」
「……私が交渉人だと分かるよう、テイラーは後ろに下がっていてくれ」
 緊張した雰囲気の中、テイラーは靴音にすら気を配り後ろに下がる。
 カチャリと扉の音が息を潜めた空間に響いた。周囲の視線は全て薄く開いた扉の方へと向く。
 隙間からは柄のついた鏡が現れた。こちらの様子を窺っているのだろう。
「危害は加えない」
 ジャックの言葉を信用したのか、それとも、鏡で窺った様子から大丈夫だと判断したのか、副大統領が姿を見せた。
 パブロは予想されたとおり、副大統領の身体を盾に、背後から左手で首を拘束していて、その手の先には先ほど見せた鏡を持っている。右手は副大統領の脇から出て、手には銃を持っていて脇腹から上部に向けて銃口を突きつけている。
 副大統領の身体が太っているため、細身のパブロの姿は背後に隠れてよく見えない。
「初めまして。ジャック・ライアン」
 パブロは副大統領の頭から顔を少し見せて口元に笑みを浮かべた。



 部屋に戻ってきた恭夜は、買ってきた服を身につけて暫くは外の眺めを愉しんでいたが、予想されたとおり退屈になってきた。時間を潰すために本の一冊でも買ってくればよかったのだ。
 本……買ってきてもいいかな……。
 病院内に売店もあるだろうし……。
 恭夜は用意されていた証明書を首からかけて、ジャックがいると聞いている一階上に上がることにした。許可をもらわないと後でひどい目に遭うことが分かっていたからだ。この過保護を何とかしたいと思いつつ、車内で聞かされたテイラーの言葉も引っかかっているからだろう。
 部屋を出ると恭夜はすぐ左側にある非常階段を上がった。
 うわ……。
 張りつめた空気の中、真っ先に目に入ったのは、ジャックの背中だ。その向こうに、犯人らしい男が、人質を取って銃を突きつけている。
 や……やべえ……。
 ものすごい状況に遭遇してしまった恭夜は、すぐさま部屋に帰ろうと心の中では思いつつ、緊張感に絡め取られたように身体が硬直したまま動かなかった。
「キョウくん……今はまずいから……」
 数歩前に立っていたテイラーがそろそろと後退して、小声で話しかけてきた。
「す、済みません……俺、でも……身体が動かなくて……」
 強張った笑みをテイラーに向けたが、次の瞬間、ジャックは恭夜が耳を疑うような言葉を叫んだ。
「テイラーっ!あの男の狙いはキョウだっ!」
 恭夜が次に見たのは両手を広げたジャックの肩が血に染まり、空中に散った鮮血だった。
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