Angel Sugar

「唯我独尊な男4」 第23章

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「それは、許可できない」
 緊張していた表情を、フッと緩めてテイラーは言った。
「どうしてですか?俺、俺が狙われてるんでしょう?」
 見たこともない相手にどうして命を狙われているのか恭夜にも分からないが、今の状況は嘘ではない。ジャックは撃たれた。それも恭夜を庇って。
「……それはジャックがそう言っただけで、それが本当の事かどうかまで私にはまだ分からない。あの状況で何を根拠にジャックがああいったのか。パブロ……いや、今、立て籠もっている男がパブロと言うんだが、君との繋がりなど何処にもないし、君だって知らない男なんだろう?」
 腕を組んで、テイラーは小さなため息をついた。
「チラリとしか見えなかったんですが、そのパブロという人は見たこともないし、名前も聞いたことがないです」
 はっきりとこれだけは言える。
 もちろん、恭夜は知らないが、相手は恭夜を知っているということは考えられるだろう。恭夜は長い間、アメリカで住み、大学に通い、仕事までこちらで見つけたのだ。日々、忙殺される中で、すれ違うこともあったかもしれないし、間接的に仕事で知り合っていた可能性だってある。
 ただ、その程度の付き合いで、命を狙われるほど恨まれるというのは考えられない。とはいえ、恭夜が知らないところで誰かを傷つけていた可能性はあるだろう。
「だろう?だったら、心配することなどないさ。ジャックが勘ぐりすぎているだけだと思う。ジャックは君がいないと苛々するし、いたらいたで、違う意味で過保護になる男だな」
 笑いもせずにそう言ったテイラーの言葉を恭夜は信じられなかった。多分、恭夜を心配させないようにと気遣ってくれているのだろう。だが、本当のことを誤魔化されるのは嫌だった。
「……でも……」
「例え、本当に君が狙われていたとしても、キョウくんに銃を渡すことは出来ないね。日本人は銃とは無縁だから、例え渡したとしても扱えないだろう。私のように生まれたときから家の中に銃がある環境で育った人間と、君は違うからね」
「俺、ニューヨーク市警にいたとき、護身用に携帯していたし、当時は訓練も受けてました。……ただ、実際、発砲したことは……ありませんでしたが……」
 働くことは問題がなかった。ただ、通勤が危険だったのだ。だから護身用にバレッタの小さなタイプを恭夜はいつもカバンに入れていた。
「……ジャックに聞いて、いいと言えば、持たせてあげられるだろうが、あの男は許可を出さないだろう。だがまあ、それほど神経質にならなくても大丈夫だ。この階と上の階はFBIの捜査員で固めているからね。仮にあの男が君を狙っていたとしても、パブロは上の階で人質を取っている。動くことは出来ないさ。ああ、この扉の前にも捜査員を配置するから、本当に君は心配しなくていい。手が空いたらジャックもここに顔を見せるだろう」
 組んでいた手を解いて、テイラーは額を拭う。
「……銃の件はジャックが何をいっても、用意してください。お願いします」
「……聞くだけ聞いておくよ」
 テイラーは仕方なさそうな口調でそう言った。
「あっ、そんな話はあとでも良かったんだ。どうしても、今すぐジャックを手術室へ連れて行ってください。俺……俺が引っ張っていきたいけど、上の階には行けないだろうから……」
 恭夜は自分の衣服に付着している血を見下ろした。ジャックの血痕は、部屋の電灯に光って生々しく目に入ってくる。見ていられないほど鮮烈な色だったため、恭夜は目をそらせた。
「あの男のことは、本人に任せておいたらいいさ。どうせ私が何を言っても耳に入らないからね。自分が受けたいときに、勝手に下の階に降りて、弾の摘出手術を受けるだろう。その後、平然とした顔で戻って来るに違いない」
 ようやく作ったような笑いを浮かべたテイラーは、そう言って部屋を出ていった。
 くそ……。
 恭夜は頭をかきむしって、椅子に腰をかけた。
 何故、誰もジャックに言わないのだ。
 ジャックは撃たれて怪我をしている。あの男がどれだけ人間離れしていても、痛みを感じていないとは思えない。ただ、痛いということすら面倒だと思うから、口にしないだけなのだろう。
 いや、自分の状態をどう判断しているか、そんなジャックのことはどうでもいい。
 ああいう男だと理解しているのなら、周囲の人間が、どんなことをしてもジャックを手術室へ引っ張って行くしかないのだ。なのに、誰もしようとはしない。ジャックに罵られるのがおちだから、言えないのだ。
 とはいえ、どうあっても言わなければならない、強制しなければならないことがあるはずだ。今がその時だろう。
 恭夜が側にいたらなら、ジャックを無理に引っ張って行く。仕事なんて後回しだ。ジャックは急所を外れていると言ったが、命に関わる怪我ではないと誰が保証してくれる。銃で撃たれると、弾の回転によって体の組織は破壊され、焼けただれるのだ。だから傷口が直ぐに治らない。しかも銃弾は鉛が使われていて、後々、身体に中毒という悪影響を及ぼすことがある。
 だから早く取り出さないとならないのだ。そんなことは警察に身を置く人間なら誰でも知っている。
「畜生……」
 恭夜は思わず目元に涙が浮かんだ。
 ジャックがいつまで身体に弾を残したまま仕事を続けるのか不明な今、恭夜は不安で堪らなかった。死に直結する怪我ではないことは頭で分かっているのに、嫌なことばかり考えてしまう。
 誰かあいつを手術室へ引きずっていってくれよ。
 クスリを混ぜて眠らせるとか、後ろから殴って昏倒させるとか。
 なんだって方法があるだろ……。
 ……。
 何考えてるんだろ……俺。
 とても出来そうにないことばかり考えている自分が馬鹿馬鹿しく思えた。それでも恭夜には笑えなかった。



「キョウ……」
 ゆっくり晴れていく霧のように、眠りから覚めた恭夜だったが、半分眠った状態だったので、直ぐには顔を上げることは出来なかった。
「こんなところで寝ると風邪を引くぞ」
 ジャックの声が先程よりはっきりと聞こえ、恭夜は、飛び跳ねるように顔を上げた。
「ジャックっ!あ、あんた、怪我は……」
 いつの間にかスーツを取り替えたのか、ジャックのシャツやスーツには血のあとは見られなかった。なにより、撃たれたのが夢だったと思えるほど、ジャックの顔はいつもと同じだった。
「ああ、応急処置で様子をみることにしている」
 何の問題もないようにジャックはあっさりそう言った。だが、よくよく考えてみるとまだ、弾が身体に残っていると言うことなのだろう。
「まてよ……応急処置なんて適当なことやってる場合じゃないだろ。時間が出来たら、ここに来る前にさっさと取り出してもらえよっ!」
 怒鳴るようにしか言えないのは、もちろん、ジャックが心配だからだ。
「キョウを見るのが最優先だ。他のことなどどうでもいい……」
 うっすらと笑みを浮かべてジャックは恭夜の頬を撫でる。愛おしそうに動かされる指先は、こういう状況でなければ夢心地に浸っていたかもしれない。
「……俺は、あんたを手術室に連れて行くからな。他の誰もできねえって言うなら俺が引きずっていく」
 伸ばされていた手を掴んで、恭夜は立ち上がったが、ジャックによって抱き込まれた。己の怪我のことなど一向に気にしないジャックに恭夜の怒りは頂点まで駆け上る。
「だからっ!何度も言ってるだろっ!こんなことやってる場合じゃねえってっ!あんた、いい加減にしろよっ!俺のこと考える前に、自分の身体のことを考えてくれよっ!」
 ジャックの腕の中でもがきながら恭夜は大声で怒鳴った。なのに、ジャックは心底嬉しそうな笑みを表情に浮かべるだけでらちが明かない。
「笑ってる場合でもねえっ!……なあ、頼むよ。あんたが仕事を第一に考えてるの、俺も分かってる。だけど……事情が違うだろ。あんたは撃たれたんだ。弾……まだ残ってる。それ……なんとかしてくれよ……」
「仕事が第一じゃないさ。ハニーが私にとって第一だ。訂正しておけ」
「なに言ってるんだよっ!俺は……」
 気持ちが高ぶって、もう何を言葉にしていいのか自分でも恭夜は分からなくなってきた。
「私が怪我をしていると、ハニーは可愛くすり寄ってくれる。こんなに嬉しいことはないな」
「五月蠅いっ!黙れっ!。はぐらかそうとしても無駄だからな。医者に診てもらえ。あんたがどう自分の怪我のことを考えていようと、絶対にこれはゆずらねえっ!」
 懇願が通じないのだと分かると、精一杯の睨みを利かせて恭夜はジャックを見据えた。すると、ようやくジャックにもことの重大さが分かったのか、恭夜の拘束を緩めた。
「……分かったから、落ち着け」
「落ち着いていられるかっ!」
「確かに私も弾を取り出してもらいたいが、現在は医者待ちだ」
「医者?ここ、病院だろう?」
「ああ、そうなんだが、ある男がここに到着するまで仕方ない。いいからやれと医者に言ったが、誰も私に手を出そうとしない。だいたい、どうしてこの状況をあの男が知り得たのか、私にはその方が問題だ」
 どこか腹立たしそうに、それでいてジャックは呆れたように言った。
「……俺にはあんたの話していることが理解できないんだけど……。ある男って誰だよ?」
 医者待ち……ある男……ということから、ある男が医者なのは分かる。だが、どうしてその男を待たなければならないのか、恭夜には分からない。
「私のことは心配するな。どうにでもなる。それよりも先にやらなければならないことがあるだろう?」
 ジャックはニンマリと笑うと、恭夜の身体をベッドに押し倒した。
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