Angel Sugar

「唯我独尊な男4」 第5章

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「俺、もう、言いたいこと言ったぜ。悪いと思うけどこれ以上、サイモンさんが何を言っても聞けないし、聞く気もない。ジャックを実家に戻したいと思っている気持ちが分からないとは言わないけど、あいつにその気がないんだからどうしようもねえよ。もし、仮に俺が、サイモンさんについていったとしても、あいつが納得するわけないって。それこそ、俺よりジャックと付き合いの長いサイモンさんの方が理解していると思うんだけど」
 はあ~とため息をついて、お茶を一口のみ、テーブルに湯飲みを下ろす。するとサイモンの後ろに立っていたはずのヘンリーの姿が見えなくなっていた。
「あれ……あの、ヘンリーさんとかいう……わっ……!」
 いきなり後ろから羽交い締めにされ、恭夜は喉が詰まった。自分より1.5倍もある腕が喉に絡みついているのだから、無理矢理引き剥がそうとしても、ヘンリーの腕はぴくりとも動かなかった。
「……な……なに……何する気だよ……」
 喉が詰まった状態で、顔を真っ赤にしながら恭夜は対面に座るサイモンにようやく言った。
「ジャック坊ちゃんとの話は決裂してしまいました。ですが、私はご主人であるヴィンセント様より命令を受けてこちらへやって参りました。ジャック坊ちゃんも私にとって大切なお方ですが、私が命を捧げているのはヴィンセント様です。ですので、ジャック坊ちゃんがこのことで私にどういう制裁を加えられようと、耐える所存でおります」
 目の前で息が苦しくてバタバタしている恭夜を申し訳なさそうに眺めつつもサイモンは淡々とそう言った。
「……俺……っ!俺は……っ……こういうの、もう、……勘弁して欲しいんだっ!」
 恭夜はテーブルに載っていた盆を手に取ると、背後にいるであろうヘンリーの頭めがけて叩き下ろした。盆が派手に割れる音が聞こえたが、首を締め付けている力は緩まない。
 こいつ……
 俺を殺す気か?
 あまりの拘束力に、一瞬不吉なことを考えた恭夜だが、同時に響いた音で失いかけていた意識が少しだけ回復した。
「あの男は……」
 サイモンがベランダの方を向いて、怪訝な顔になっている。もう、首が回らない状態だった恭夜だが、なんとか動かしてサイモンが見ている方向に顔を向けた。すると、利一が何故だかベランダに立ってこちらを向いて目を見開いていた。
 なんで……
 あいつ、あんなところにいるんだよ……
 じゃ……ねえ……
「お……隠岐っ!た、助けて……っ」
 声が聞こえるかどうか分からなかったが、いま頼ることができるのは利一だけだった。しかも利一なら何とかしてくれるような気が恭夜にはしている。ただの刑事ではあるが、今までも随分と名を挙げてきた男なのだ。
 とはいえ、このマンションのガラスは特殊ガラスで、簡単には突破できないようになってるはずだった。ここまで来た利一だが、どうしようもなくて結局見ているだけという結果になる可能性も否定できない。
「ヘンリー……下で誰も入ることができないように手配していたはずですね?」
 サイモンは特に狼狽えることなく、冷えた声で告げた。
「はい」
 口を閉ざしていたヘンリーが声を発した。
「ではあれは、なんでしょう」
「問題が起こったのだろうと思われます。ですが、すぐに排除できるでしょう」
 不吉なことをサラリとヘンリーは言い、なにか白い布を手に持って恭夜の口に押しつけてきた。
 クロロフォルムだっ!
 息を止めて、嗅がないように抵抗を続けながらも恭夜は利一の様子をじっと窺っていた。すると上から見知らぬ男がワイヤーを使って降りてきて、ベランダにいる利一の隣に立った。男は肩にカメラを持っていて、利一がなにやら話しかけて指を差している。話し終えると、利一は携帯をポケットから出して、どこかへと電話を掛けていた。
 隠岐……
 な……
 何やってるんだよううううう……
 呑気に電話してる場合か~!
 恭夜が唸っていると、室内の電話がベルを鳴らす。こちらを見ている利一がかけてきたのかもしれない。しばらく鳴りやまないベルに、仕方なさそうにサイモンが受話器を上げた。
 なに……
 なに話してるんだ……
 さっさと助けてくれよ……
 俺……もう、駄目だって。
 息を止めるのも限界になった恭夜は、まだギリギリのところでもがいていた。誘惑に負けると、クロロフォルムをしこたま吸って、次に起きたとき、どこで目を覚ますのか分からない。こういう経験はもう二度としたくなかった。
「吸え」
 ヘンリーはドスを利かせた声を響かせると同時に、サイモンが受話器を下ろす音が聞こえた。
 恭夜の意識はそこで途切れた。



「君をなんとかして逃がしてあげようと思う」

 遠くで誰かが囁いた。

「どうして君がこれほど憎まれているのか……僕には分からないけど……」
 
 困惑した声。
 だが、それを問いかけたいのは恭夜の方だった。

「……ただ、僕も裏切ることはできないんだ。こういう場合、どうすればいいんだろう……誰か協力者か、僕と同じような気持ちの人間が一人でもいると良いんだけど……」

 まるで、一人で自問自答しているような言葉だった。
 声ははるか頭上から聞こえてくるようでいて、耳の側で囁かれているようにも聞こえる。

「最初の目的から……随分と離れていることを、みんな分かってるんだろうか……」

 まだ自問自答。
 一体誰なのか、恭夜には意識がはっきりしないために目を開けられない。いや、開けているのに視界がぼんやりしていて、見えないといったほうが正しいのかもしれない。

「……もし、ここから連れ出せないようだったら、僕が君を殺してあげるよ。その方がきっといいね?」

 哀れみを含んだ声だったが、恭夜はひどく嬉しかったような気がする。
 ようやく楽になれる。
 恭夜は力を振り絞って顔を上下させた。
 楽になれる……。
 ただ、それだけを、あのとき、望んでいたから。

 だが、あれは……。
 一体、誰だったのだろう。



「恭夜さん……しっかりしてください」
 利一の声と一緒に、頬が思いきりつねられているような痛みが走った。ぼんやりしていた意識がそこで鮮明に戻り、恭夜は目を覚ました。
「あ、生きてる」
 安堵と言うより、どこかふざけたような口調で利一は言って笑った。
「……あれ、あの、あいつらは?」
 ソファーに横たえられているのを確認して、恭夜はキョロキョロと見回したが、リビングには利一の姿しかなかった。テーブルに乗っていたジュラルミンのケースも姿を消し、彼らが既にこのうちから出ていったことだけは理解できた。
「……ぶつくさ文句をいいつつもおとなしく帰りましたよ。それより、恭夜さんって、ストライクゾーンが広いですねえ。あんな、おじいさんと、筋肉隆々の男性にも好かれちゃうなんて、驚異です」
 本気で感心するように利一は一人で頷いている。
「ちょっとまて。違う。あいつらは……え~っと……ジャックのうちにいる執事とその……なんだったっけ?あ、そうそう、SPだ。……じゃなくて。なにがどうなってあいつらおとなしく帰ったんだ?あっ!隠岐、お前以外にもう一人一緒にいただろ?あれは誰なんだ?」
 ソファーの上でとにかく恭夜は自分が思ったことをそのまま口にして、ベラベラと一気に話した。利一はそんな恭夜に、嫌だな~という表情を見せて身体を逸らせている。
「……説明しますから落ち着いてください……」
 肩を竦めながらも利一は苦笑していた。
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