Angel Sugar

「唯我独尊な男4」 第36章

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 血が飛び散るのを見たことがあるだろうか。無重力に飛ばされた水滴のように、どろりとした液体が一瞬、球状になってぐにゃりと歪み、飛沫する。まるで床や壁にパウダーを落としたように砕け、染みが広がっていく。その光景は何故かビデオをスローにして見ているように視界に入る。
 目の前で銃弾が撃ち込まれているのに、遠くの方から音が聞こえるのだ。恭夜は耳まで遠くなってしまった。
 解放しようとしてくれた男は、床でもんどり打ちながら、銃弾を浴びていた。一発目はニールだったが、その後は誰か知らない男たちが唇を歪めて、無防備なもと仲間から命を奪おうとしていた。
 
 やめろ――。
 
 恭夜は確かに声を出したはずなのに、口から出るのは息だけだ。身体は動かない。手を伸ばして、たった一発の銃弾ですら受け止めてやることができなかった。
 なんとか身体を動かすのだ。
 恭夜は歯を食いしばり、神経を集中させた。なのに、反応が返ってこない。身体は恭夜の理性を守るために、他の全ての機能を放棄したようだ。
 ゴツッと音が響き、床が震える。恭夜の目の前に、先程まで話していた男が目を見開き、口を薄く開いて倒れていた。口の端からは血を流していた。
 生気を失った瞳には、恨みも苦しみも浮かんではいなかった。ただ、瞬きすることを奪われた瞳が、虚空を眺めている。
「キョウが殺したようなものだよね……」
 ニールはそう言って、笑う。
 人をこんなふうに殺して笑えるような男だったろうか。
 確かに、ニールがジャックに対してコンプレックスを持っていたことは恭夜も気付いていた。だが、捨て猫を連れて帰る優しい一面もあったはず。それがどうしてこんなふうに命を奪えるようになったのか。
 恭夜には分からない。
「…………っ」
 何度も問いかけた。
 何故こんなことになったのかと。
 だが、ニールの答えは、意味深な笑いだけだった。
「キョウが悪いんだ」
 俺の何が悪いんだ?
 俺に何ができたというのだろう。
「だって、キョウがこの男を誘っていたら、死ぬことはなかったんだから」
 恭夜は目だけを動かし、死んだ男を見た。
 自分の責任なのだろうか。
 ――多分、そうなのだろう。
 恭夜は現実から逃避するために目をしっかりと閉じた。全てから解放されるには、死を選ぶことしかあり得ない。なのに、死ぬことすらままならない身体。
 まだ解放してくれないのだ。
 ニールはどこまでも恭夜を追いつめ、たとえ死の間際にあっても、簡単に楽にさせてくれない。
 何度考えても、今この場にいるニールが恭夜の知る男ととても思えない。
 まるで別人だ。
「もう、殺しちゃってもいいんだけどね」
 ニールの困ったような声が、側にいるのに遠くから聞こえた。だが、意味はしっかりと理解した。
 そうだ、殺せ。
 殺してくれ。
 俺を――――解放してくれ。
 恭夜は何度も心の中でそう繰り返していた。
 ニールはまた何か口にしたが、意味が分からない。いや、聞こえないのだ。声がますます聞き取りにくくなって、言葉が霧の中に紛れ込んだように、曖昧なものへと変わっていた。そんな中、はっきりと聞こえた声があった。
「……まだ殺すな。利用価値があるんだろう?」
 それはジャックの声だった。



 特殊ガラスが割られたことで飛び散る破片から、ジャックは恭夜を守るように抱き上げ、窓から離れた。モーガンは床に伏せ――といっても、前に崩れ落ちるようにして転がったというのが正しいだろう――パブロは逆に立ち上がり、両手に銃を構えていた。
 一方を窓に向かわせ、もう一方はモーガンに向けられている。
「命が欲しいと思うのなら、そこでしばらくこそこそ隠れて立っていろっ!一歩でも入ってきたら、お前たちに対して私が何をしでかすか、保証はしない。分かったなっ!」
 ジャックは暗闇が広がる窓に向かって叫んだ。
 ガラスは全て割れているわけではなく、半分を吹き飛ばし、右側は残っていた。いずれ右側も砕かれるはずだ。だが、これ以上の暴挙をジャックは許すつもりはなかった。
「無駄ですよ。どうせすぐに催涙ガスが飛んできます」
 パブロは淡々とそう言った。
「いや。彼らも命が欲しいはず。あの話を耳にしていないとは思えませんね。もっとも、知らなかったとしても、入ってきたら同じ目に遭わせるだけですよ」
 ジャックは窓の外に広がる闇を見据えて、言った。
「あの話?」
「……貴方には関係のないことでしょうから、お話はできませんが」
 パブロは肩越しに振り返りつつ、目を細めた。
「噂通り怖い方だ」
 ジャックはパブロの言葉を聞いていなかった。抱き上げている恭夜の様子がおかしかったからだ。
 恭夜は顔色をなくして額に汗を浮かばせている。撃たれて出血しているからだと最初は考えていたが、それとはまた様子が違った。
 ――ガラスの音に反応したか。
 同じような状況に、以前恭夜は置かれていたことをジャックは思いだした。
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