Angel Sugar

「唯我独尊な男4」 第11章

前頁タイトル次頁
「ちょ……ちょっと待てよ。タンカー一隻分の礼ってなんだよ……」
 と、言ったところで、以前ジャックがそういう礼を断っていた話を思い出した。ジャックは「私に牧場でも経営しろというのか」と非常に不快な顔つきで話していたのだ。もしかするとその相手はこのサラームなのかもしれない。
 だが、そうすると、礼というのは牛や馬なのだろうか。
 それはジャックでなくても困る。
「……あの、それって、一度ジャックが断ってませんか?」
 恭夜が言うとサラームはようやく握りしめていた手を離して、腕を組むと唸る。
「実は、そうなんです。私としては最大の礼を尽くしたつもりだったのですが、どうもライアン氏の怒りを買ったようで、ここは一つ挽回しなければと常々思っていたところ、仕事の関係でこちらに伺える予定が入りましたので、やって参りました。今回、牛や馬はお持ちしていませんのでご安心下さい」
 にっこり微笑むサラームは、恭夜が喜ぶ表情を見せるのを待っているのか、どこか期待した瞳を向けている。だが、恭夜には牛や馬も困るが、他のものも困る。ジャックの金銭感覚にもついていけない恭夜に、タンカー一隻分の礼を簡単に持ってきたという男の価値観などにはもっとついていけないだろう。
「……あのう……。それはジャックに話してもらえませんか?俺が礼をもらう立場じゃありませんし……」
「君に似合いそうな宝石もたくさん用意させています。見てみたいと思いませんか?」
 こちらを見下ろしているサラームの濃い茶色の瞳は、長いわけではないがギュッと詰まったように睫が覆っていて、思わず吸い込まれそうなほど印象的だ。
「俺、男ですから、そういうものに興味ないんです。済みません……」
 申し訳なさそうに言うのだが、サラームは更に言う。
「いえいえ、女性にプレゼントされるよう、お使いできるようにご用意しているのですよ。もちろん、男性にも使えるダイヤをちりばめたネクタイなどもご心配なさらなくても用意しています」
「……え、はあ……そうですか」
 ……ダイヤをちりばめたネクタイをどこにしていくんだ?
 俺が?
 勘弁してくれよ~……。
 助けを求めるように利一を見るのだが、なんだか横目でじ~っと恭夜の方を見ている。羨ましいという瞳ではなく、なにか言いたそうな様子だ。それとも、恭夜を眺めながら、ダイヤをちりばめたネクタイをしている恭夜の姿を想像して、腹の中で笑っているのかもしれない。
「……隠岐……あのさあ……」
「知りません」
 笑顔のまま速攻返答され、恭夜は肩を竦めつつもう一度サラームの方を向いた。だが、何を口にしていいのか分からない。
 恭夜が無言でいると、サラームが話し出す。
「宝石がお気に召さないご様子ですね。仕方ありません。父ほどたくさんは所有していませんが、無人島を両手の指の数ほど私名義で持っています。その一つに別荘を建ててプレゼントさせていただきましょうか?南の島に別荘があると便利ですよ。寒い季節にそちらへ住まいを移動されると、一年を通して快適に過ごせるはずです」
 今度は……
 無人島!!
 どこまでも大げさになっていく『礼』に恭夜は仰け反りそうだ。いや、サラームがそれほどジャックに恩を感じているといったほうがいいのかもしれない。
「あの、申し訳ないんですが、ジャックが戻ってから、本人に話してもらえませんか?俺にはこういうことを判断できないんです」
「承知の上で参ったのです。今、ライアン氏は仕事でワシントンの方にいらっしゃるご様子です」
「知っていて来られたのですか?」
 恭夜が驚いていると、サラームは大げさに頷いた。
「ご本人に直接申し上げると断れることが分かっていましたので」
 どこか苦笑しながらサラームは言う。
「……俺も、お断りします。ジャックが断ることを知っていて、俺が頂くわけにはいかないんです」
「私は、ライアン氏に最大の礼を尽くしたいのですよ。私の弟が拉致されたのを五体満足でライアン氏は救い出してくれた。私の国では普通、手や足の一本くらい無くなった状態であっても助かれば幸運なんです。それを、ライアン氏は言葉だけで救い出してくださったのですよ。奇跡です。私の両親も最大の礼を尽くせと私に命令したほどです。その気持ちを分かっていただきたい」
 また手を掴まれて握りしめられた状態で、恭夜はサラームの熱心な言葉を聞かされた。サラームが心から感謝しているのは分かるのだが、こればかりは恭夜もどうしようもない。
「……あいつ……いえ……ジャックは、サラームさんの気持ちだけ頂けたらそれでいいと思います。礼を品物で欲しがる奴じゃないし……」
「そうでしょうか?」
 掴んでいた手を離し、サラームの表情がやや曇った。いや、どこか腹立たしいのを抑えているような様子だ。
「あのう……違うんですか?」
「ライアン氏は石油の採掘の権利を欲しがっているんですよ。それは私どもの一存ではお答えできません。共同開発の権利にしても、こそこそやってくる日本人の企業やロシアが提示する可愛らしい権利ならまだしも、未だかつて無いほど内容が酷い」
 はあ?
 あいつが石油を欲しがるか?
 何に使うんだ?
「……嘘でしょう。あいつはそんなものに興味なんて絶対に持ちません」
「父親のヴィンセント氏です。その件についてもお話ししたいと思っているのですが、ジャック氏は私に会おうとして下さいません。確かに私どもは感謝しています。ですので、この件に関して、礼を渡した段階で全てを終わらせたいと思っているのです」
 もしかしてジャックのした仕事に関して父親であるヴィンセントが絡んでいるのだろうか?とはいえ、何がどうなっているのか恭夜に理解できるわけなど無い。
「……俺、俺にはよく分からないんですが……」
「貴方が私が持ってきた礼を受け取って下さればいいんですよ」
 にっこりと、だが有無を言わせない口調でサラームは言う。
「駄目です。俺、俺には分からないことですから。それより、ジャックは仕事の報酬を金でサラームさんから受け取ったんでしょう?だったら、それと別の礼なんて必要ないと俺は思いますけど……」
 仕事で要求する報酬がどれほどのものか恭夜には分からないが、それはジャックも当然の権利として受け取っているはずなのだ。だったら、問題はないだろうと恭夜は思う。もっとも金額など聞きたいとは思わないが。
「報酬はお支払いしています。それ以上のものを要求されて困っているのです」
 サラームは本当に当惑した表情で唸った。
 どうしたものかと恭夜が思案していると袖を利一が引っ張っているのに気がついた。
「……なに?」
 そろそろと近づくと、利一は耳元でこそこそと小さな声で告げた。
「この人、嘘ついてますよ」
 日本語で、サラームには分からないように利一は言う。
「え?嘘ってなに?」
「全部嘘とは思えませんが、一部、嘘が混じってます」
「一部ってどの辺り?」
「石油の権利がどうのこうの……というところでしょうか?」
 チラリとサラームの方を見てまた、恭夜の方へ視線が移動する。
「え、じゃあ、石油の権利の話は全部、嘘?」
「いえ、全部じゃないです。一部です。石油採掘の権利に関しては交渉はされているんじゃないのでしょうか?そういうことは国家として普通は日常であるでしょうし。もっとも、ジャック先生のお父さんは政府の方ですので、ジャック先生とのことはまったく関係のない、別の交渉になっているのかもしれません。ただ、この方が勝手に一緒くたにされているようですが……まあ、私の勝手な解釈ですけどね」
 淡々と利一は言いつつもにこやかな表情を崩していない。
「勝手に一緒にするってなんだよ~……」
 思わず恭夜は声を張り上げてしまった。
 一瞬であったが、サラームの状況に同情していたのだ。
「そんな変な声を出さないで下さい。サラームさんが不審に思われるでしょう?なんでもいいですから、あの人を追い返した方が無難です。何か企んでますね。……あ」
 利一が急に顔を強張らせて天井の方を向く。
「……今度は何だよ……」
「ヘリが数機、このマンションの上に降りたみたいです……」
 笑っていた表情が真剣なものに変わり、利一の緊張した様子に恭夜まで身体が強張った。
前頁タイトル次頁

↑ PAGE TOP