Angel Sugar

「障害回避」 第12章

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 警察署に着くと、真下は待合室に残り、宇都木と小早川が制服を着た警官によって小さな会議室に案内された。そこはごく一般的な会議室で、宇都木もよく知ったパイプ机と椅子が並べられている簡素なものだった。
 想像していたような、窓枠に格子がつけられていたり、嫌に薄暗い部屋でもなく、明るくさっぱりとした場所に宇都木は驚いたほどだ。こんなふうに考えてしまうのは、テレビのドラマなどで見る影響なのだろう。
 とはいえ、本来はそう言った場所に連れて行きたかったが、東のこともあり、できなかったのかもしれない。
 警官が宇都木たちを残して出て行き、暫くすると五十代くらいの男と先ほどとは違う二十代後半にみえる警官が入ってきた。
 五十代の男は髪が薄く、白のシャツに、濃い茶色のズボンというラフな格好をしている。男は脇になにやら書類のようなものを持っていて、宇都木たちを見ると笑顔を見せた。
「いや……申し訳ないですね。わざわざご足労してくださって……私、片山といいます」
 東がどういった圧力を掛けたのか分からないが、片山は妙に低姿勢に言って名刺を差し出してきた。それは小早川が手にする。
「私が宇都木未来と申します。こちらの方は弁護士の小早川さんです。本日はよろしくお願いします」
 宇都木が軽く頭を下げると、片山は頭を掻きつつ持っていた書類をテーブルに置いた。
「そう、かしこまらなくていいんですよ。なに、ご存じのことがあればお答え下さればいいんです。事情聴取という形ではなくて、ちょっと私どもの捜査に協力していただけると助かります……」
 バサバサと書類を目の前で広げて、片山は淡々とそう言った。
「分かりました」
「随分、古い話になるので、宇都木さんが覚えていらっしゃるかどうか、分かりませんが、母親が妊娠していた……ということを耳に挟んだことはありませんか?」
 片山は驚くようなことを言った。
「……知りません。聞いたこともないのですが……」
 母親が妊娠していたということなど一度も耳にしたことはない。ただ、あまりにも小さな頃の話になると、もし、そういう事実があったとしても忘れているに違いない。
「あの、白骨化していたというのは母の赤ん坊だったのですか?」
「それもはっきりしないんですよ。大体、5,6ヶ月で流産している子供だろうと言う話です。外傷もありませんでしたので、自然死でしょう。こういうのは土の状態や、埋められていた環境によって、いつ頃……というのが特定しにくいのですが、二十年から二十五年ほど前だろうと結果が出ています。これだけの幅があると、ちょっとわかりにくいと思いますが、何かそれらしい話を聞かれませんでしたか?」
 十五年から二十五年……。
 そんなに幅があるとは宇都木も予想しなかった。
「いえ……全く覚えがないのです。ただ、もし、それが事実だとすると、母が私に兄弟ができるのだと話してくれているはずですが、聞いた記憶もありません」
 宇都木は幼い頃に母親に言ったことがある。
 お兄ちゃんが欲しい……と。
 お兄ちゃんはもう無理でしょう……と、母は笑った。
 じゃあ、弟が欲しいと駄々をこねると、母は神様が授けてくださればね……と微笑んだ。
 まだ、あの妙な宗教に心酔する前の思い出のはずだ。
「私の……弟になるのですか?」
 自分でいった言葉に、吐き気がしそうな気分に陥りそうになったが、宇都木は堪えた。
「いや、まだそこまでは。白骨化した遺体が出た場所なのですが、建っていた家とどういった位置関係になるかでまた変わってくるんですよ。ただ、もう、随分と前に取り壊されてしまっていて、更地にされていますので、当時の配置が分からない。もしかすると宇都木さんの家の敷地から外れていた可能性もあるんですよ。そうなりますと、誰かがあそこに埋めたとも考えられます」
 多分、そうなのだ。
 そうに違いない。
 母はそう言ったことなど一言も宇都木に話さなかった。もし、妊娠していたら、それらしい行動もあったはずなのだ。だが、思い出せる限りの記憶の中には見つけられない。
 迷惑な話だが、誰かが埋めたのだろう。
「多分……そうだと思います。誰かが埋めたのでしょう……」
 宇都木はそう口に出すと、少しだけ気持ちが楽になった。
「ただね……」
 片山が少しだけ眉を顰める。
「なんでしょう?」
「遺体は産着ではなくて、子供用の小さなシャツにくるまれて埋められていたんです。かなり布の方は腐食していましたがね。そこの襟の縫い取りに、宇都木と書かれていました。こうなってくると、やはり、遺体の母親は宇都木さんではないだろうとかと思われます。もっとも、洗濯物を干されていて、それを誰かが盗み、遺体を包んだ……ということもあり得ますが、全て想像で、確信がありません」
 今度は困ったような表情になる。
「多分、後者だと思います。洗濯物は塀のないどこからでも入られるような庭に、干していましたから……」
 当時を思い出すようにして宇都木は言った。
 シャツは盗まれたに違いない。
 そうとしか考えられないのだ。
「……まあ、そうでしょうが……ね」
 疑うような目を片山は向けてきた。もしかして、嘘を付いているのだろうと疑われているのだろうか?だが、宇都木は正直に答えている。知らないものは答えられない。しかも、母親が妊娠していたことがあったのかどうか、全く記憶にないのだから、答えようが無いのだ。
「何かお疑いの様子ですが、私が覚えている限り、母は妊娠をしていませんし、流産をしたという話も耳にした覚えもないんです。私は男ですし、結婚していませんので分かりかねますが、妊娠をすれば何かと手続きも必要でしょう。そうなると、簡単に遺体を埋めることなどできないと思うのですが……」
「現代でも届けない女性はいますよ……まあ、いろいろ事情があってのことでしょうが。病院に行くか、届けを出さない限り分からないものですからね」
 宇都木の母親が実は妊娠していて、そこで何か事情があり、誰にも告げずに自ら流産を引き起こすようなことをして、埋めた……と、片山は言いたいのだろうか。それとも宇都木の考え過ぎか。
「もちろんそうでしょうが。母親にはそういったそぶりもありませんでした」
 当時、どうだったのかなど、宇都木にはっきりと思い出せるわけなど無いが、きっぱりと言った。ここで、曖昧な答えをしてしまうと、疑いが晴れないような気がしたからだ。
「それで、これは宜しければ……ということなのですが、DNA鑑定のために、宇都木さんに協力していただけるとありがたいのですけどね」
 片山は愛想よくそう言った。
「DNA鑑定……ですか」
 チラリと小早川を見ると、小さく顔を左右に振った。
「どうでしょう。献血する程度ですので、大変なことはありません。その結果、白骨遺体が宇都木さんの血縁かどうか、大まかなことが分かるはずなんですよ。ただ、今のところ強制ではありませんので、無理に……とは申しません」
「お断りします……」
 どういう事情で小早川が首を横に振ったのか分からないが、宇都木は従うことにした。
「そうですか……分かりました」
 片山はやや顔色を苦いものに変えて、宇都木ではなく小早川の方を一瞥した。小早川の方は平静な面もちで、無言のまま静かに座っている。
「じゃあ、そうですね。今日はこのくらいで……お時間を頂きましてありがとうございました。お帰りになって結構です」
 落胆したような、それでいて腹立たしいのを抑えながら片山は言った。思っていた答えが引き出せなかった……そんな様子だったが、宇都木は何も訊ねることなく立ち上がり、片山も持っていたカバンを小脇に抱えて椅子から腰を上げた。
「ああ、そうそう、またご連絡すると思いますので、その時はよろしくお願いしますよ」
 部屋を出ようとした宇都木たちに後ろから片山が、やはり愛想よく言った。

「小早川さん……どういうことなんですか?」
 通路を歩き、真下が待つ待ち合わせ室に向かいながら小早川に宇都木は聞いた。
「いえ、ああいうものは個人情報になりますからね。裁判所命令が出されているのなら、仕方ありませんが、ああいったことには簡単に頷かない方が無難です。もし、宇都木さんと関係のない遺体であったとしても一度鑑定された情報は全て警察で保管されます。そんなところに個人情報を預ける義務などないのですから」
 小早川は当然のように言う。だが、宇都木からすると本心は調べて欲しいと思っていた。もし、兄弟だったら……だからどうなるのか。という問題までは考えられないのだが。
「……そうですか」
「例え、宇都木さんのご両親の間で何かあり、ああいった場所に遺体を埋めてしまったのだとしても、随分昔の話です。しかも宇都木さんには何の関係もない。問題のご両親も既に亡くなっていらっしゃいます。事件性がないのなら、何があったかということを明らかにしなければならない理由がどこにあるのでしょうか?」
 淡々と小早川は言う。
 言われてみるとそうだ。
 今更過去を掘り起こしたところで、どうにもならない。ただ、兄弟がいたのかもしれないという気持ちだけが、宇都木の心の中で渦を巻いているだけだ。
「はい……」
「この件は、これで終わりですよ。心配なさらないように。形ばかりの事情聴取です。警察への責任は果たしました。あとは書類だけで終わるでしょう。それらも全て私が引き受けていますのでご安心下さい」
 肩を落としている宇都木に小早川は力づけるようにそう言ったが、何か喉の奥に引っかかったままになっているような気がして、宇都木は笑みを浮かべることができなかった。
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