「障害回避」 第22章
「未来……」
どこか逃げ腰の宇都木をもういちど引き寄せて、如月はギュッと抱きしめる。何処まで知らぬ振りを決め込めば、この男は助けを求めてくれるのか。頼ることをもう少し覚えてくれたら……そんなことばかり如月は考える。
如月が頼りにならないからではなく、宇都木はいつだって、一人で解決しようとするから心配なのだ。
「アミューズメントパーク……」
ぽつりと宇都木はそう言った。
「ん?」
「順調ですか?」
宇都木は心配そうに顔を上げる。
「ああ。大丈夫だろう。楽観はできないがね。蓋を開けるまではどれだけ太鼓判を押されていても分からないものだ。もっとも、駄目だったとしても、また次がある。契約が取れたら私の評価も上がるだろうが、だからといってそれが全てではないさ」
額にかかる宇都木の髪を撫で上げて如月は笑った。だが、宇都木は唇を噛みしめていて、嬉しそうな表情など見られない。
「邦彦さん。大きな仕事なんです。そんなふうにおっしゃらないでください。ここまで来るのに随分根回しをしたのですから、絶対に取るという気でいてください」
怖いほど真剣に宇都木は言った。
「未来……仕事が全てじゃないぞ」
「……邦彦さんらしくないです。今までならそんなことなどおっしゃらなかったでしょう?どうして、突然、弱気になられているんですか……?」
怪訝な目つきで宇都木はじっと如月を見つめた。
「弱気にはなってないよ。ただ、未来のいい方を聞いていると、自分の価値を仕事の出来に求めているような気がしただけだ。契約をどれだけ取ろうと、いや、何度失敗したところで、それが私自身を決める評価にはならない。違うか?」
如月の言葉に、宇都木は目を伏せた。
「お前に対しても、同じだ」
「私は、私自身を認めていただくのに、仕事を頑張ってきました。邦彦さんもそんな私を見て、秘書として評価をして下さったのでしょう?じゃあ、仕事をしない私の価値は何処にあるんです?どうやって私を、私という人間を邦彦さんは評価できるのですか?」
宇都木は訴えるように言った。どこか切なさの漂う言葉に如月は驚いた。仕事の善し悪しで自分を評価してしまいがちの宇都木のことは理解していたが、これほどのめり込んでいるとは思わなかったのだ。
「未来。良く聞くんだ。私の秘書をしていないからといって、私のお前に対する評価が下がることなどないんだぞ。仕事の評価が恋愛を計るものじゃないだろう?お前を必要としているのは、仕事だけの問題じゃない。お前自身が必要だから側にいて欲しいと思っている。それとも、私と未来の間には仕事という無機質なものでしか繋がりがないのか?」
恋愛と仕事は別物だ。
如月はそう言いたかった。
だが、宇都木は、考えるような仕草をして、暫く俯いたまま、口を閉ざした。
「未来……」
「邦彦さん。もちろん、私も全ての価値を仕事に求めているわけではありません。ただ、……この物件はいつものものとは違うんです。私は絶対に貴方に成功してもらいたい。私が出来ることはなんだってします。いえ、してきました。ようやく実を結ぶところまで来たのに、どうして突然、そんなことをおっしゃるのか、私には分かりません」
宇都木が話をそらせたことに如月は気付いた。それを無視することは如月にもできない。
「違う。そうじゃない。仕事の話はいいんだ。未来は私に何を求めている?恋人か?それとも仕事の出来る上司か?」
思わず口調がきつくなったことに、心の中では後悔していたが、一度出てしまったものはしかたないだろう。
「……」
苦痛を堪えるようにしかめられる宇都木の顔を見て、如月は大きく息を吐いた。宇都木が如月に求めているものが一体どういったものであるのか、分からない。言葉にしてくれるのなら如月も考えることが出来るだろう。
なのに、宇都木は何も言わずに、ただ、押し黙るだけだ。
「未来……どうなんだ?」
「……違います」
宇都木は絞り出すように声を発した。腕の中で身を竦める宇都木は頼りなく、小さく見える。それでも、如月は問いつめるように言った。頭では追いつめてはならないとわかっている。だが、如月はどうあっても知りたかったのだ。いや、知らずにはいられない。
「何が違うんだ?それは答えになっていないだろう」
「……私は……」
顔を左右に振り、宇都木は如月と目を合わせなかった。
抱きしめている身体からは小刻みに震える振動が伝わってくる。混乱しているのか、それとも痛いところをつかれて、言葉に窮しているのか。
「……もういい……分かった」
宇都木の背に回していた手を解いて、如月はため息をついた。
本当は宇都木が何を考えているのかを吐き出すまで、如月は問いつめたいと考えはじめていたのだ。それが宇都木にとって逆効果なのをようやく思いだし、踏みとどまったといってもいい。
「邦彦さん……私……」
上着を脱ぎ、廊下を歩く如月の後ろから宇都木が駆けてきた。だが如月は歩みを止めなかった。これ以上宇都木の顔を見ていると、余計なことを更に口にしてしまうだろう。だからこそ、何処から見ても何かを思い悩んでいるとしか見えない宇都木の顔を、如月は自分の気持ちが落ち着くまで目にしたくなかったのだ。
「いや……私が、悪かった。私が話したことは、全て、忘れてくれ……。ああ、服を着替えてシャワーでも浴びるよ。だから、未来はリビングでゆっくりしてくれていたらいい」
如月は背後にいるであろう宇都木に言うと、振り返らずに寝室に入った。
そろそろ来る頃ですね……。
宇都木は時間を確認して、冷えた紅茶を口に含んだ。
桜庭に指定されたホテルの一階にある喫茶店で、十五分ほど前から待っていた。
ランチタイムも終わった頃なので、本来は人が溢れているはずの場所なのに、周囲には客が誰一人としていない。時折顔を上げて、宇都木は周囲を見回してみるものの、ウエイトレスはカウンターの向こうで談笑している。
こんな日もあるのでしょうか……。
人混みは嫌いだが、かといって、沢山ある椅子に誰も座っていない状態も、落ち着かない。日常からどこかかけ離れた場所にいるようで、居心地が悪いのだ。
カップの淵を撫で、宇都木はため息をついた。
翌日、如月はいつもと変わりのない様子で仕事に出かけていった。昨晩のことを蒸し返すこともない。どちらかというと、宇都木を気遣う様子が見え隠れしていたのだけは気付いていた。昨晩から如月に、どうにか自分の気持ちを伝えようと言葉を探した宇都木だったが出来なかった。
ただ、これだけは言える。
仕事が出来る如月を好きになったわけではない。
如月に認められることこそが宇都木の生き甲斐なのだ。もちろん、公私ともにそうありたいと願っていた。
如月の評価が上がると、宇都木も誇らしい気持ちになれる。そのための苦労など苦と思ったことなどない。如月のために働き、功績を認められることで、自分自身の居場所はここにあるのだと、実感できるのだ。恋愛とは違う。自分が自分であるための、仕事だった。
プライベートでは如月の恋人であり、仕事では優秀な秘書でありうる。どちらも他の誰とも代え難い存在であること。これが都木の望んだ自分の理想の姿だ。
だが、こういう気持ちを宇都木は上手く如月に説明ができない。如月は分けて物事を考えているが、宇都木にとってそこに如月が存在する限り、仕事もプライベートも同じだからだ。
早く仕事に戻りたい……。
ほとぼりが冷める頃、仕事に戻ることが出来るはずだ。それがいつなのか、明日か、それとも半年、いや、もっとかかるのか。
「お待たせしましたか?」
いきなり声を掛けられた宇都木は、驚いて顔を上げる。すると目の前に桜庭がいつの間にか座っていた。
「……いつ……いらっしゃったのです?」
「座る前にご挨拶はしましたよ。何か考え事をされていたようで、気付かれなかったようですが」
桜庭は口元に笑みを浮かべていたが、濃い色のサングラスを掛けているために目まで笑っているのかどうか、宇都木には分からなかった。
「……」
「貴方の姿を見るまでは、私も安心できませんでしたよ。来てくださってありがとうございます」
ゆったりと手を組んで、桜庭は言った。
「……お話があるのでしたら、手短にお願いします」
宇都木は桜庭の方を向かずに淡々と口にした。
向かいに座っているだけでも、桜庭は虫酸が走る男なのだ。
「嫌われたかな……」
苦笑して桜庭はサングラスを外して、テーブルの上に置いた。濃いグレーのサングラスは外の景色を映し出している。
「まあ、いいでしょう。本題に入ろう」
手を組み直し、桜庭はじっと宇都木の方を見据えた。
「ええ、どうぞ」
「率直に話そう。いろいろ手を回して君を周囲から孤立させたのは私だ」
桜庭の言葉に宇都木はカップを掴んでいた指先がピクリと震えた。
「……理由は?」
「あの如月が君の過去まで包み込めるような心の持ち主かどうか……確かめたかった」
真面目な顔つきで桜庭は言った。その言葉の真意は見えない。
「余計なお世話です」
宇都木は桜庭の言葉を切り捨てるように冷たい声色で告げた。すると桜庭は苦笑する。
「私のやり方が不味かったようだね。ただ、一番の目的はまだ話していない。聞きたいかい?」
桜庭の表情をチラリと見て、宇都木はため息をついた。
「……お話が済まれたのでしたら、私はこれで……」
立ち上がろうと腰を浮かせた宇都木の手を桜庭は掴んだ。
「君を公私とも私のものにしたい」
桜庭の言葉に、宇都木は思わず手を振り上げた。