Angel Sugar

「障害回避」 第43章

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 これでようやく日常が戻ってくるはずだ。
 宇都木をすぐに復帰させることは難しいだろうが、桜庭が日本から出て行けば、自宅には連れ戻してもいいだろう。
 やっと宇都木とともに過ごせる日を取り戻せることに、如月は安堵していた。自宅でも、会社でも一緒にいた二人だ。家に帰っても、出社しても宇都木の姿がないことに、如月は情けないことに音を上げつつあったのだ。
 日々の暮らしから彩りが失われ、一人の食事がつまらない。気が付けば家にいようと、会社であろうと、宇都木の姿を求めるように如月は目を彷徨わせていた。そんな暮らしから解放される。明日、桜庭の乗った飛行機が飛び立つのを見届けた後、東家に寄り、宇都木を連れ帰ればいいのだと、如月は本当に胸を撫で下ろし、そして高揚していた。そんな気分のまま、如月は早々と宇都木の携帯を鳴らした。
 すぐさま宇都木が出てくるだろうと考えていた如月だったが、五回空しくコールが鳴り響き、諦めて切ろうとしたときに、宇都木が出た。
「ああ、未来か。今、少しだけ話してもいいか?それとも忙しいか?」
『……いえ。どうぞ』
 宇都木はどこか他人行儀に答える。いや、力がないと言った方がいいかもしれない。問題の桜庭が明日アメリカに帰るということを知らないからだろう。
「先程、桜庭から連絡をもらった。明日アメリカに帰るそうだ」
『えっ……』
「ああ、もう未来が心配することは何もない。安心していいんだぞ。それで……後でまたゆっくり真下さんに礼も含めて連絡を取るつもりだが、先に未来に話しておくよ」
『……そう……そうですか』
 もっと宇都木が喜ぶだろうと想像していた如月だったが、予想は外れ、気落ちしているような声が帰ってきた。
「明日、夜に未来を迎えに行くから、もし持ち帰るものがあったら、準備しておいてくれ」
『……私は……』
 言い淀むような宇都木の答えに、半ば如月の方が肩を落としたが、桜庭と何があったのかを考えると、当然なのだろう。宇都木は様々なことで傷ついている。桜庭と寝たこともそのうちに入るのだろうが、さらに家族のことがあった。
 宇都木が戻ってきたらそれらすべてを含めて、如月が癒してやるしかないのだ。
 癒してやれる自信などない。
 けれど孤独の中、一人で苦しんでいる宇都木を如月は放り出したりはしない。
「未来、いいね。もうお前が懸念に思うことは何もない。違うか?」
『……はい』
 まだ迷っているような声だった。
「私は……未来がいなくて本当に寂しかった。毎日起きるのも酷く辛かったんだ。一人で食べる料理も味が感じられずに砂のようだったぞ。独り寝はもっと苦しかったな……。お前の温もりが消えた我が家は暗闇のようだった。だから……未来、こんな情けない男のために帰ってきてくれないか?私には未来が必要なんだ」
 自分で言葉にしていて、苦笑が漏れそうな言葉だった。宇都木以外にはとても聞かせられない言葉だが、それが如月の正直な気持ちだ。
『こんな私で……よろしいのですか?』
 宇都木の声は感情のない押さえたものだった。
「ああ、未来が必要だ」
『……アミューズメントパークの件は……順調に進んでいるのでしょうか?』
 突然話題を変えられた如月は驚きつつも、答えた。
「もう心配することはないぞ。来週には入札をして、うちに決まる予定だ。各社足並みがそろっているから、今はなんの不安材料もないぞ」
『よかった』
 携帯向こうの宇都木の顔は如月には見えない。けれど本当に嬉しそうに微笑している姿が如月の脳裏に浮かんだ。
「ほら、もう何も問題はないだろう?」
『……そうですね』
 宇都木はやはりまだ迷っているようだった。
「未来、再来週には少し休みが取れる予定だ。お前と旅行に行こうと計画しているんだが、どこに行きたい?」
『もしかしてもう予定を取られたのですか?』
「ああ。ひなびた温泉だが、なかなかいいところみたいだぞ。旨いものでも食って、二人で羽を伸ばすののいいだろう?」
 宇都木を連れ戻すために如月はまだ計画もしていない旅行の話を切り出した。けれど話しているうちに、傷ついている宇都木を癒してやるためには、旅行で気分を変えるのも効果的だという気分になっていた。
『……はい』
 ようやく宇都木からいい返事をもらえた如月はホッとしていた。
「では、明日、夜に迎えに行くよ」
『……いえ。お迎えに来てくださるのも申し訳ないので、私が自分で戻ります。邦彦さんは何時頃に自宅に帰られますか?』
 宇都木は淡々とそう言った。嬉しそうに聞こえない口調が気になったが、周囲に誰かがいるのだろうと如月は想像していた。
「九時には帰っているだろう。もし私が帰っていなかったら、先に家へ上がって待っていてくれないか?」
『……ええ。そうさせて頂きます』
「もし、私が帰宅していてお前がまだ戻っていなかったら、迎えに行くぞ。いいな?」
『はい。そんなことにはならなりませんので、安心してください』
 相変わらず感情の掴めない声で話す宇都木のことが気になりながらも、如月は携帯を切ると、会議に戻った。



「邦彦か?」
 耳ざとい剣が携帯を終えた宇都木にそう言った。
「え……はい」
「迎えに来ると言ったか?」
「ええ。ですが私から帰ると伝えました。これ以上、迷惑をかけられませんので……」
 微笑して宇都木は答えた。
 剣に本心を悟られる可能性があったからだ。
「違うな」
「いいえ。違いませんが……」
「邦彦に迎えに来させない理由は、真下に会わせないためだろう。真下に邦彦を会わせたら、数時間は説教されるだろうからな」
 クスリとも笑わずに剣は言う。
 確かに、今、真下と如月を会わせると、剣が言うような状態になるに違いない。
「……やはり、分かります?」
「そんなところだろうと思っただけだ」
 剣の言葉に宇都木は苦笑して見せた。
 けれど剣は間違っていた。
 宇都木は二度と如月のところへ戻るつもりはなかったのだ。
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