「障害回避」 第46章
宇都木はポーカーフェイスを作ったまま、真下や剣に礼を述べると、東家を後にした。真下はやや宇都木が一人で帰ることに難色を示していたが、最終的には首を縦に振ってくれた。そう、みな、すべてが解決したと思っている。だから大丈夫だと判断してもらえたのだろう。もちろん、宇都木が微笑したままだっただめ、本当は何を考えているのか、誰も気付かなかったのだ。
宇都木は真下が呼んでくれたタクシーに乗り、如月のマンションに着く少し前、行き先を変えるように運転手に告げた。宇都木はもう如月のマンションには帰らぬつもりで、東家を後にしていたのだ。
向かった先、それは以前如月と一緒に訪れた遊園地だった。
まだオープンしたばかりもあって、客寄せのため、九時まで夜間営業をしていることを宇都木は知っていた。だからここに決めたのだ。
宇都木は、半分眠そうに座っている受付の女性から、チケットを購入し、園内へと入った。どうせ誰もいないだろうと思っていたが、ぽつりぽつりとカップルたちが、観覧車のイルミネーション目当てに訪れていた。けれど、やはりどこの遊園地と比べても訪れる客は絶対的に少ない。もう何年も営業し、うらぶれてしまった遊園地のようだ。
煌々と明かりを灯しながら回るメリーゴーラウンドは、木馬が寂しげに上下するばかりで、乗っている人は皆無だ。ジェットコースターにはさすがに人が乗っていたが、それでも数名だ。
僅かに観覧車には人が乗っている。夜景を愉しみに来たカップルだろう。
宇都木は缶ビールを買い、観覧車がよく見えるところで、人気のないベンチを探すと、そこに腰を下ろした。赤、黄、青、オレンジ……様々な色のイルミネーションに飾られた観覧車は、意外に綺麗だった。
幼い頃のいい想い出も観覧車にある。そしてついこの間、如月とも観覧車に乗った。
僅かの時間だったが、楽しかった。
偵察に来ただけだけの時間だったが、宇都木には何よりの思い出になっている。
いつか、如月もここでのことを思い出してくれるだろうか。
宇都木はポケットに入れていた瓶を取り出した。中には睡眠薬が入っている。随分と昔、そう、高校に入ったばかりの時に、宇都木は死にたいと思ったことがあったのだ。その時、こっそり買ったもの。ずっと自分の部屋の机の引き出し奥に隠していた。これを取りに洋館へと向かったのだ。とはいえ、死を意識するまで宇都木はこの存在すら忘れていた。
私は……きっとまた、邦彦さんに迷惑をかけてしまう……。
それは宇都木にとって確信できることだった。
如月を思うが故に、後先考えずに行動してしまうことが、またあるだろう。
考えてから行動に出ればいいのだろうが、後から後悔することはあっても、その時に引き返せないに違いない。そしてまた、如月に迷惑をかける。
仕事でも、プライベートでも同じことだ。
私は……邦彦さんの障害になる。
きっと、また――。
宇都木は缶ビールを空けて、一口飲んだ。
アルコールはクスリの効果を速めてくれる。それに、一気にクスリを飲むと、吐き出す恐れがあるが、少しずつ、時間をかけて飲めば、吐き出すことなく安らかに逝けるだろう。そういう、本来、持ちたくない知識まで宇都木は持っていたのだ。
宇都木は如月の枷にはなりたくなかった。
自分が障害になって、如月の行く未来を阻む存在にはなりたくなかった。
今回は、沢山の人に助けてもらって、どうにか回避できたが、そういう問題を起こす自分自身がもう耐えられなかったのだ。
如月を愛している。
ずっと側にいたいと、本当に願っている。
誰よりも自分が如月の力になりたかった。
如月のためになることなら、なんだってできる。
それが、今回の問題を引き起こしたと言ってもいい。
宇都木はクスリを二錠飲んだ。数分おいて、また呑み込む。ビールで流し込んでいるからか、クスリの味はない。このまま眠るように死ねるだろう。
宇都木が死んだのを知ったら、如月は怒るはずだ。いや、泣いてくれるかも知れない。それを思うと胸が痛むが、この先もっと迷惑をかけることを考えると、遙かに心が楽だった。
ごめんなさい……邦彦さん。
私……このまま逝きます。
ずっと貴方を愛していたかった。
側にいて、できる限りのことをしたかった。
仕事の面でも、プライベートでも。
だけど、分かったんです。
私自身が貴方の障害になる存在だと。
貴方だけじゃない。
いろんな人に迷惑をかけてしまった。
きっと、これからもそう。
私は、それを思うと耐えられない。
宇都木は、こんなふうに死ぬことを選び、逃げることは間違っているのだと、頭では理解していた。けれど誰よりも迷惑をかけたくなかった如月に、様々な負担を追わせてしまった。本来は自分で解決しなければならなかった、個人的なことばかりだったのに。
桜庭と寝た。
何よりも後悔していることだ。
如月が一番毛嫌いしている男と、宇都木は寝たのだ。
思い出すだけで身体が捩れそうだった。
如月もきっと、ことあるごとに思い出すだろう。
宇都木は桜庭と寝たのだと。
そんな目で見られるなんて、耐えられない。
宇都木はまたクスリを飲み込んだ。だんだん虚ろになって、観覧車のイルミネーションが霞んでくる。動作もなんとなく鈍く、眠くなってきた。
愛するのが怖くなった。
愛すれば愛するほど、その人のためだと信じて暴走する自分が怖い。
途中でそんな自分を抑えられないのだ。
如月を愛している。
だからきっとまた同じようなことを、それが一番だと信じて宇都木は、結局、迷惑になることをしでかしてしまうだろう。
だから、ここでその原因になる自らを消すのだ。
愛している人の枷に、二度とならないように――。