Angel Sugar

「障害回避」 第45章

前頁タイトル次頁
 最後の独り寝の一夜を過ごした如月は、日中順調に仕事をこなし、桜庭と会う時間である七時には成田の待合室にいた。
 桜庭は不機嫌な顔でベンチに腰をかけていて、明滅する滑走路の明かりを眺めている。こうやってみると容貌自体は悪くないのだ。性格を直せばもう少しかわいげもでるのだろう。
「おい、来てやったぞ」
 如月が声をかけると、桜庭はため息をつきつつこちらを向いた。
「勝手に来たんだろう?」
「用があったからな」
 如月は手に持っていた封筒を桜庭の膝に放り投げた。神崎から買ったネタの複製が入っている。
「これはなんだ?」
「中を見てから問いかけてくれ」
 如月の言葉に桜庭は封筒に手を入れて中身を出した。が、すぐさま封筒に戻し、羞恥で顔を赤らめると、周囲に聞こえるほどの歯ぎしりをして、如月を睨み付けた。
「……貴様」
「そう、怒るな。私だってこういうものを見たくはなかったさ」
 嫌悪の表情で見下ろすと、桜庭は立ち上がり怒りを抑えた顔を向けた。周囲に人がいなければきっと殴りかかってきたことだろう。もしそうであったとしても、如月は怯むつもりはなかった。いや、如月の方がその衝動を抑えるのに必死だったのだ。
「人を使って私を調べたのか」
「お前が最初にやったことじゃないのか?私はそれを真似しただけだぞ」
 憎しみで顔が歪んだ桜庭は、とても醜くかった。それは彼の心をそのまま表情に現したようだ。けれど如月はこういう表情の桜庭をずっと見たかった。うちひしがれている顔よりも満足できるものだ。
「……く」
「私はお前と違って優しい男だから、お前がおとなしくアメリカへ帰るというのなら、そいつは週刊誌に売ったりはしない。だが、次にこの日本に来るようなことがあったら、私は躊躇いもなくそのネタをばらまいて、お前が表を歩けないようにしてやるぞ」
 胸ぐらを掴みたくて仕方ないであろう桜庭を、如月は冷笑した。
「……クッ……クックックッ」
 桜庭は突然笑いだし、先程まで座っていた椅子にまた腰を下ろす。桜庭が気でも狂ったのかと思うほど、その笑いはしばらく続いた。
「面白いか?」
「まあ……笑わずにはいられないだろう?」
 桜庭は笑いで漏れた涙を拭い、息を吐く。今度は意気消沈したような様子だ。
「私は笑えんね」
「どうせ、このネタをお前も見たんだろう?」
 手に持った封筒を桜庭は如月にかざして見せた。
「一応な」
「どう思った?」
 興味深げに桜庭は如月を見つめていた。けれど如月には気味が悪いだけの視線だ。
「吐き気がしたな」
「そうか……」
 桜庭は目を伏せて顔を左右に振った。
 一瞬、桜庭が告白でもするかと嫌な想像をしてしまったが、ありがたいことにそれは如月の杞憂に終わった。もっとも告白をされたら、それこそ怒りで殴りつけていたかもしれない。
「私はこれで帰る。用は済んだからな。本当に二度と私の前に姿を現すなよ」
 もう一度釘を刺すと、桜庭は顔を上げてニヤリと笑った。
「私がこんなことでくじけると思うか?」
「お前がまともな奴なら……な」
 桜庭に背を向けて如月は肩越しに言う。けれど桜庭は相変わらず笑っていた。
「私は諦めない男なんだ」
「往生際が悪いな」
「そう……またお前に嫌がらせをしてやるから覚悟しておけ」
 嫌がらせ……。
 この男はあくまで嫌がらせをすることしか考えられないのだろう。らしいといえば桜庭らしいのだろうが、本当に性格が歪んでいる。いや、ねじ曲がっている。どんなことがあっても桜庭のこの歪みは矯正できないのかもしれない。
「負け犬の遠吠えだと、聞き流しておくさ」
 如月はそこで会話を終わらせると、まだ何か後ろで言っていた桜庭を無視して歩き出した。これ以上、桜庭のために時間を取るわけにはいかないのだ。
 今晩、宇都木が帰ってくる。
 先に帰って待っていてやりたいのだ。
 きっと宇都木は、まだ自分のしたことを引きずっていて、視線を合わせないだろう。そして自分の過去を知られたことに、拭えない痛みを抱えているはず。そんな宇都木を如月が癒してやるのだ。
 数え切れないほどのキスをして、抱きしめてやる。
 一晩中、話し合ってもいいだろう。
 とにかく、宇都木の頑なな心が開かれるまで、如月は忍耐強く接するつもりでいた。
 そこへ携帯が鳴った。
「如月ですが……ああ、神崎か。お前の仕事は終わったはず……」
 神崎は如月の声など無視するように、叫んだ。その内容に如月は一気に顔を青ざめさせた。
「え……未来がっ?」
 如月は信じられなかった。
 いや、恐れていた時期はあったが、それは過ぎたはず。
「どういう……なっ……」
 如月は神崎から聞かされたことに衝撃を受け、携帯を落とした。
前頁タイトル次頁

↑ PAGE TOP