「障害回避」 第33章
「なんだ?」
「事情は理解しました。他に何かできることがありましたら……」
香月の言葉は尻すぼみで最後まで言葉にならなかった。自分一人だけが蚊帳の外に置かれていることに気付いているのだろう。何か彼にもできることを与えてやりたいと考えるものの、そこまで今の如月には気が回らない。もっとも、下手をすると法律に抵触することを如月はやろうとしているのだから、詳しいところまでは話せないのだ。
たとえ香月がどれほど如月の力になりたいという雰囲気や態度を見せたとしても、それをありがたいと思えたとしても、巻き込まない方がいい。
「いや、今は別にない」
視線すら向けずに如月が言うと、香月は平静な様子で引き下がり、自分の椅子に腰をかけたが傷ついていることがありありと見て取れた。
何か適当な仕事を与えて置いた方がいいか……。
如月が目の端だけで捉えていると、香月はふと携帯を取りだして誰かと話し始めた。
こんなところで私用電話をするくらいだから放っておいても適当に時間を潰すだろうと、如月が――こういう場合でなかったら許さなかっただろうが――そっとしておくことにした。
香月が私用の電話にかかり切りになっている間に、如月は今回アミューズメントパークに対し入札を控えている業者の担当に片っ端から連絡を入れ、会う約束を取り付けた。中には如月からの連絡に躊躇するような雰囲気を見せた相手もいたが、そういう会社を要注意としてチェックすることにした。すでに桜庭から連絡をもらっていて、如月の方につくか、それとも桜庭か、どちらにつけばより得ができるのかと、二つを天秤にかけつつ様子を窺っているのだ。
ギリギリになって裏切るような会社は今後も同じことを繰り返すだろうな……。
ため息をつきつつ、如月が全ての連絡を終えて顔を上げると香月が目の前に立っていた。
「……どうした?」
「アミューズメントパークの件ですが」
先程見せたおどおどした様子が消え、香月は瞳を生き生きとさせている。
「……ああ」
「私は貴方の秘書です」
「そうだったな」
「もちろん……臨時ですけど、花の手配だけの仕事では満足できません」
「だから何だ?」
「私もしばらく前から業界で流れている不穏な噂を耳にしていました。うちはあの物件を取れないだろう……と」
「それで?」
「味方は多い方がいいと思います」
真面目な顔で香月が言えば言うほど、なんだか可愛らしさが先に立って、如月は笑いが漏れそうになる。
「……確かにな」
口元に手を当てつつ、笑いを堪えていると、珍しく香月がムッとした表情を見せた。
「笑ってますね?それは、私ごときでは力にならないとだと如月さんが思われているからですか?」
「いや」
臨時だから余計に巻き込みたくないと如月が考えただけだ。
「……引き継いだばかりで状況がよく分からなかった私は、秘書として失格だと思います。でも、私は今、貴方の秘書をしています」
「そうだ」
「料亭は私が手配いたします。密談ができそうなところを……ですが。先程話されていた方々と会われる日程を教えてください。もちろん、私も同席させていただきます」
何か付き物が落ちたように、自信に満ちた香月の態度に、如月は驚いた。つい先程まで萎縮した様子を見せていた男とはとても思えない。
さっきの電話か?
一体、誰と話したんだ……。
「香月が腹をくくってくれるのなら、頼むとしよう」
そういって如月はメモに書き付けた予定を香月に手渡した。
「いつだって、私は腹をくくってます。綺麗事だけでは大きな物件は手に入りませんから……。あっ!すみません。偉そうなことを口にしてしまって……」
「いや、構わない。それより、いきなり自信満々な態度になったな。さっきの私用電話は誰からだったんだ?その相手からなにか耳打ちされたんじゃないのか?」
如月が問うと、香月は渡したメモを床に落として、慌てて拾い上げた。
嘘が付けない男なのだ。
会社の立場として、そして如月の秘書として動いてもらうとしても、こういう男は外へはださない方が無難だろう。とはいえ、細かいところまで全て如月が手配するのも骨が折れる。込み入ったこと以外を香月に頼めばいいのだ。
「いえ。以前の上司からでした。如月さんに迷惑をかけていないかと聞かれていたんです」
必死に笑顔を取り繕っているが、嘘を付いているのは明らかだ。
相手は……真下だったのだ。多分、そんなところだろう。
宇都木があれほど酷い目に遭わされて、当然と言えば当然だ。といっても今回の件に関しては真下の介入はありがたい。
「そうか」
「じゃあ、私は料亭を手配します。あちらの方への連絡も私がいたしますので、細々したことは全て任せてください」
「頼んだぞ。ただ、同席はしなくていい。相手も一人だ。しかも大きな声では話せないことを互いに話すんだから、こちらが二人で行くと相手は警戒するだろう?」
真下に逐一報告されると、如月も困るのだ。そうなると、途中から真下が直接如月に指示を出してくることも考えられるからだった。もちろん、真下の介入をありがたくは思っている。だからといって全てを任せる気はない。
如月には如月のやり方がある。
自らの手で桜庭を葬り去らなければ、この怒りは収まらない。
「分かりました。その代わり、どういった内容だったのか、私にも後ほど教えてくださいますか?」
「……そうだな。考えておこう」
如月はそう言って笑った。