Angel Sugar

「障害回避」 第19章

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「どういう意味でしょう?」
 宇都木が言うと、男はアイスコーヒーの入ったグラスの淵を指先でゆっくりと撫でた。指先は奇妙なほど柔らかく見え、宇都木は不快感で目を細めた。
「そのまんまの言葉だな」
 男はグラスから手を離し、顎のところで組む。 
「……それで、結局、何がおっしゃりたいのです?」
「もう、本題に入ってるんだけどな。だから、あんたを欲しがっている男が居て、俺は、あんたに、どう?……って聞いてるんだ」
「……話になりませんね」
 宇都木が立ち上がろうとすると、男は腕を掴んできた。男の柔らかい手の平の感触がスーツを通しても感じられ、宇都木は思わず手を振り払っていた。
「私に触らないでください」
「悪かったよ。悪かった。座ってくれ」
 男は宥めるようにいい、頭を掻いた。 
「……」
 宇都木は冷えた目つきを送りつつ、もう一度椅子に腰を掛けた。
「あんたを欲しがってる男。会ってみないか?」
 じっと宇都木を眺めながら男は言った。
「私がどうして会わなければならないんです?」
「最初に言っただろう?いろいろあんたには都合の悪いことがあるんだろうし、俺は、会った方がいいと思うな。もっとも決めるのはあんただし、強制できるものじゃないだろうからさ」
 結局、これは脅しなのだろうが、簡単に頷くことなど宇都木にはできない。大体この男も得体が知れないのだ。もう少し腹を探った方がいいだろう。
「貴方のおっしゃっている方はどなたですか?」
「あ、ちょっとばかし、興味持ったみたいだな。いい傾向だよ。その方があんたのためだと思う」
 この男は、恩を売っているのだろうか。
 口を開いているのを見るだけでも、気分が悪くなりそうな男だった。一見してサラリーマンに見えるのだが、口元がだらしなく、どこか下品で宇都木の最も嫌いなタイプに分類されそうだ。
「興味はありませんが、会わなければ話が進まないのでしょう?」
「ま、そういうことだな」
 男は胸ポケットから名刺を一枚取り出して宇都木の方へ差し出した。裏返されているために誰の名刺か分からない。だが、携帯の番号が綺麗な文字で書かれている。
「ここに連絡したほうが、あんたのためになる。俺の役目はそれだけかな。連絡するのも良し、しないのもありだ」
 ニヤリと口元を歪ませて男は笑った。
「連絡しなければ、私のことをばらまくおつもりでしょう?」
「俺がするんじゃないさ。その名刺の男がやるんだろう。やばいことまで俺は手伝うつもりないからな。そんな義理はもともとない。俺は、この名刺の男に頼まれてあんたに伝えただけだ」
 宇都木には脅迫にしか聞こえない言葉だが、男からするとそういうつもりではないらしい。自分はあくまで中継ぎなのだと男は言いたいのだろう。
「……」
 宇都木は裏返された名刺を眺めながら、すぐさま手を出すことはしなかった。まだ迷っていると言った方がいい。
「おい、取れよ。あんたがこれを持っていってくれないと、俺は帰れないんだ」
 残ったアイスコーヒーを一気に飲み干して、男は言った。
「随分、貴方にとって都合のいい話ですね」
「面倒なことが嫌いなんだよ。俺はやばくない仕事で金をもらえたらそれでいい。もっともこれは、ちょっとした小遣い稼ぎなんだけどな。普段は真面目なサラリーマンやってるよ。あんたより収入が少ないのは悔しいが」
 カバンを小脇に抱えて男は一人帰る体勢にはいる。
「……それで、自宅に帰ったら、息子が三人、娘が二人、奥さんは病院……なんてことはおっしゃいませんよね?」
 馬鹿にするように宇都木は言ったが、男は楽しそうに笑った。
「いいな、それ。今度から使わせてもらうよ。さすが、敏腕秘書……だった男だな。じゃあ、俺はこれで」
 男はレシートを置いたまま立ち上がった。すんなり帰るのだと思っていたら、立ち去り際、男は振り返り、もう一度男は宇都木に言った。
「電話しろよ。身のためだ」
 もう一度、宇都木が睨み付けると、男は逃げ出すように店から消えた。
 どうする?
 持って帰る方がいいのか。
 それとも、このまま名刺を放置して帰った方がいいのだろうか。
 手を伸ばしたものの、名刺を手に取ることができない。
 ……。
 例のプロジェクトがらみなのだろうか?
 宇都木から情報を欲しがっている?
 大きなプロジェクトは談合といって裏で引き受けの業者の順番を決め、出てくる物件を受注する企業が決められていた。だからぶつかること自体ない。時折、談合から漏れている企業が、入札の段階で突然名乗りを上げ、大騒ぎになることはあるのだが。
 そういった理由で、裏では既に話は付いているプロジェクトだ。今のところプロジェクトが順調にいけば、今度のアミューズメントの物件は東都物産が受注を請け負うはずだった。
 ただ、外資系で名乗りを上げている企業があり、談合が通用しない。情報ではそれほど大した内容を提示できないであろうから、こちらが有利だと言われている。
 もし、本当に東都物産のプロジェクトを潰そうという企業があるとすれば、その外資系が怪しい。ただ、本当に裏で手を回すつもりなら、さっさと宇都木のことを表沙汰にするはずだろう。
 とはいえ、相手は海外にも名の知れた東グループだ。
 外資系であっても軽々しく実行に移すとは思えない。
 一体、どうなってるんだろう。
 外資系の企業は中堅で、それほど大きな会社ではないのだ。例え、間違って向こうが受注したとしても、とてもこなせない規模のプロジェクトだった。
 それとも、ギリギリで名乗りを上げる企業が出てくるのだろうか。
 その企業の名前がこの名刺の裏にかかれている?
 宇都木はもう一度、名刺を見下ろした。
 作りの安い名刺ではない。再生紙なのだが、それでもロイヤル仕立ての、値の張る名刺だ。この持ち主は企業でもハイクラスの人間に違いない。
 誰だろう……。
 裏返すと後には退けないような気が宇都木にはした。だが、この相手は如月にとってもライバルになるのだろう。そんな相手を知らずにいて、プロジェクトが横取りされるなど宇都木は考えたくない。
 如月にとっても大切なプロジェクトなのだ。
 日本に戻ってきてからまだ大きな仕事を手がけていない如月に、必要な経歴となるにちがいない。
 ……。
 どうしよう。
 名刺は手の届くところにある。
 見るしかない。
 宇都木は決心をつけて名刺を手に取ると裏返した。
 この人は……!
 直ぐに宇都木は名刺に書かれた名前を信じることができなかった。



「……いつから動いてくれるんだ?できれば、今すぐにでも行動に移してもらえるとありがたいんだが……」
 如月が言うと、神崎は目を丸くさせた。
「え、急ぎ?」
「当たり前だ。急を要するから神崎を呼んだんだろう。しかも口は軽いようで固いから私も信用しているんだ」
 神崎は如月の言葉に気分を良くしたのか、照れくさそうに鼻を掻いている。
「ま、僕に任せてくれていいよ。で、恋人の住所は?」
 カバンから小さなモバイルを取り出して神崎は電子ペンを持った。
「私と同じだ。話さなくても分かるだろう?」
「……もう、一緒に暮らしてるんだ……」
 目を丸くさせて神崎は驚いていた。
「まあな」
「じゃあ、都合が良いか。盗聴器仕掛けてもいいよな?ああ、マンションのキーも出してくれる?型、取るから」
 あっさりと神崎は言い、今度は真四角のカンペンケースを取り出した。
「お前……いつもそんなもの、持ち歩いているのか?」
 カバンを覗き込もうとする如月に神崎は手をかざして隠す。
「駄目駄目。商売道具なんだから」
 カンペンケースの中身は粘土のようなものが詰められている。そこに、如月が渡した鍵を押しつけて、神崎はカバンにケースを戻した。
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