Angel Sugar

「障害回避」 第47章

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 如月が病院に着くと、玄関のところで神崎が立っていた。
「神崎っ!どういうことなんだっ!」
 怒鳴り声を上げると、神崎は肩を竦めながらも、受付を通り抜けて、エレベーターの方へと早足で歩く。如月は神崎を追いかた。
「だから、電話で話しただろ。僕だってびっくりしてるんだから……こっちこっち、あ、東家の方には僕から連絡したんだけど、真下って人と剣って人が飛んできたよ。もう、先に病室に入ってるんじゃないかな」
 エレベーターに乗り、神崎は三階を押す。
「未来の様態はどうなんだ?」
「……僕からはなんとも。分からないよ。助けたときは、ちゃんと生きてた」
 神崎は肩を竦めている。
「それで、クスリを飲んだって……どういうことなんだ?それに、神崎が見つけたのはどういう事情からなんだ?」
「最初から聞いてくれる?僕が如月のマンションに行こうとして車を走らせていたら、途中で如月の恋人らしい男がのったタクシーとすれ違ったんだ。行き先が自宅と違う方向だし、気になって追いかけたんだよ。ほら、何とかの感とかいうやつだって。それで、浦安のなんかこう、パッとしない遊園地の前で下りて、一人で入っていったんだ。如月と待ち合わせかとも思ったんだけど、なんだか妙に思い詰めた顔をしてたからさあ、後ろを追いかけてついていったんだ」
「どうしてそこで声をかけなかったんだ」
 エレベーターが三階で止まり、そこから出ると、神崎に案内されるまま、如月は付いていった。
「いやだから……聞いてくれって。それで、彼は自動販売機で缶ビールを買って、観覧車から少し離れたベンチに座った。そこでビールを飲みながら……クスリを飲んでたんだよね。僕は最初クスリだと思わずに、つまみでも食べてるんだと思ってさあ、なんか一人で考え事がしたいんだろうと思って、一度は遊園地を出たんだ。けど、なんかやっぱり気になって、戻ってみたら、今度は倒れてたんだ。慌てて遊園地の人に救急車を呼んでもらった。そこで彼が食べていたのはクスリだって分かったんだよね。あれをつまみだと思わずに、僕が声をかけていたらよかったんだけど……あ、あそこだよ」
 当たっても仕方のない神崎に、思わず声を上げそうになったが、真下の姿を見つけた如月は、そこへ駆け寄った。
「真下さんっ!」
「……ああ、邦彦……」
 真下は憔悴した顔をしていた。こういう真下を如月は見たことがない。それほど宇都木の様態が芳しくないのだろうか。
「未来はっ?どうなんですか?」
「今、剣が中で付き添ってくれているよ。私は……どうしても見ているのが辛くてね。宇都木を一人で帰した私の責任だから、側にいてやらなければならないんだが……」
 慚愧に堪えないという表情で真下は言い、壁に背を凭れさせた。そのただならぬ様子に、如月は顔色が青ざめる。
「み……未来は……大丈夫なのですか?」
「睡眠薬を大量に飲んだらしいが、ここに運ばれたときにはもう、かなり身体に吸収されていたんだ。胃洗浄じゃ間に合わなくてね。今はレスピレーターと、人工透析でなんとか乗り切ろうとしている……。意識さえ戻ればなんとかなるだろうと、医者は言ってくれたが……。とにかく……邦彦は側についてやってくれ……」
 真下はそう言って扉を指さした。
 如月は震える手で扉をあけて中に入った。
「宇都木、ほら、邦彦が来たぞ。何をやってたのかしらんが、遅いと思わないか?」
 剣がベッド脇に座っていて、動かない未来の手を撫でていた。
「……未来……」
 宇都木は眠っているように見えた。けれど、血の気の失った顔は、紙のように白くなっていて、如月が覚えている頃よりも痩せていた。
「邦彦。ぼんやり立ってないで、ここに座って声をかけてやれ。真下が何を言ったかしらんが、宇都木は大丈夫だ。この程度で人間は死んだりしない」
 宇都木の手をベッドに下ろし、剣は立ち上がると、如月の腕を掴んで引き寄せた。如月は動揺して声を失ったままでいたため、剣が座っていた椅子に座らされたことにも、気付かぬほどだった。
「邪魔者は消えるから、ついていてやってくれ。真下はこういう状況にひどいトラウマを抱えていてね。今は冷静に対処できないから、私が役立たずをいったん屋敷に連れて帰る。また戻ってくるから、それまではトイレに行きたくなってもここにいろ」
「……」
「おい、聞いているか?しっかりしろっ!お前まで役立たずになる気か?いいな、ここでついていてやるんだぞ。絶対に離れるな。分かったなっ!」
 背中を思いきり叩かれた如月は、ようやく我に返った。
「わ……分かりました」
 剣が出て行くと、如月はそっと宇都木の頬を撫でた。
 よく見ると、宇都木は意識がないはずなのに、閉じた目から涙を落としている。如月がハンカチで拭ってやるのだが、涙はとまらない。余程、辛いことがあったのか、それとも今までのストレスが一気に宇都木を襲ったのか。
 意識のない宇都木には問うこともできず、如月は何度も拭ってやった。
「未来……どうした?何か辛いことでもあったのか?それともいろいろありすぎて、逃げたくなったのか?」
 如月は宇都木に語りかけた。
 聞こえているのかどうか、そんなことは分からない。けれど、何か話しかけていないと、宇都木の意識がこのまま戻らないのではないかと、心配になったのだ。
「もう、何も心配することなんてないんだぞ。全部ケリがついた。だから、未来……私の秘書に戻ってもらわないと、困る。いや……そうじゃない。仕事なんてどうでもいいんだ。秘書としても未来は必要だが、恋人として必要なんだ……」
 額にかかる髪をそっと撫で上げて、如月は物言わぬ宇都木に、涙がにじんだ。けれど、今は泣いている場合ではない。少しでも何か語りかけて、宇都木を安心させてやりたかったのだ。
「旅行、しばらく延期になりそうだな。どうするんだ、宇都木。私はお前と二人きりの旅行を楽しみにしているんだぞ。そうだな……室内に温泉のある宿がいい。それだと未来と一緒に楽しめるだろうからな。ほら、未来も行きたくなっただろう?」
 何度も何度も宇都木の手や額を撫で、如月は続けた。
 触れると分かるが、肌から血の気が失われているのに、温かいのだ。この温もりがあるかぎり、宇都木は大丈夫だ。
 そう、如月は思いたかった。
「温泉に行ったら、綺麗な景色もお前と二人で楽しみたいね。どう思う?未来……楽しみになってきただろう? なら、早く元気にならないと……っ」
 何とか堪えていたはずの涙が、突然あふれ出し、如月はしばらく声を失った。
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