Angel Sugar

「障害回避」 最終章

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「私を……どう思われます?」
 正直に、今まで隠すことばかり考えてきたことを宇都木は正直に如月へと話した。如月がどう考えたのか、宇都木は不安だ。けれど、いつまでもばれることに怯えて如月の側で暮らすより、すべてを話した方がいい。そう決心し、迷いはもうなかった。
「どう……とは?」
 如月は宇都木の手を持ち上げると、軽くキスを落として、微笑した。
「……いえ……その……気持ち悪くないですか?」
 宇都木は如月の顔色を窺うように、そう聞いた。すると、如月は何故か自分の腹を撫でて、不思議そうな顔をしている。
「朝食を食べ過ぎた訳じゃないから、吐き気などしないが……」
 なんだか如月との会話がずれていた。
「違うんです。私の生い立ちを聞いて……その……気持ち悪くないかと心配で……」
 宇都木は如月から視線を逸らしがちに呟く。すると如月は宇都木の手を離し、今度は肩に手を回して引き寄せると、クスクスと笑った。宇都木は真剣に話した。けれどどうして如月が笑っているのか、分からない。
「そんなに可笑しいことですか?」
「いや、自分が誤解していたことが可笑しくて……すまん。未来は真剣に話しているのに、どうして食べ過ぎを心配されていると勘違いしたのかと思ってね。気分を害させたのは私だな。すまない……未来」
 如月は肩に回した手を動かし、宇都木の頬を撫でている。けれど宇都木の不安がそれで払拭されたわけではないのだ。
「それで……あの……どう思われます?」
「そうだな……未来の両親を気味悪いと思うことはないよ。まあ、確かに道をどこかで間違ったかもしれないがね。だからといってお前がそれを背負う必要はないし、お前は両親とは違う。もしかすると両親は途中で後悔して、どこかで引き返そうと考えていたのかもしれない。ただ、何もかもが間に合わなかった。そのことをいくら後悔しても、終わったことだからどうしようもないさ。誰もが将来の道を自分で選択できる。両親は自分達であまりよくない道を選択してしまった。当時、未来はそんな両親を助けたいと思っただろうが、お前は小さかったし、無力だったのも仕方のないことだよ。けれど今、未来は生きてここにいる。お前はお前の道を歩めばいい。両親とは違う、お前の道だ。選択するのは未来、お前だよ……」
 淡々とした口調だったが、如月がどれほど言葉に気をつけ、励まそうとしているのか、その優しさに宇都木は気づいていた。
 胸が急に苦しくなって、目頭が熱くなる。
「……はい」
「でも、どうせ選択するなら、私と同じ道を一緒に歩いて欲しいな」
「邦彦さん……本当に?……本当にそう思ってくださいますか?」
「いつだってそれが私の願いだよ」
「……私は……」
 既にばれている、桜庭のことはどう説明すればいいのだろうか。
 許してくれていることは分かっている。だからここで蒸し返さない方がいいのかもしれない。けれど、宇都木にとって桜庭との過ちも未だ心を苦しめている原因だった。
「他に何が気になってるんだ?気になることがあって、心に重くのし掛かっているものがあるなら、すべて吐き出すといい。私はただ受け止めて、抱きしめてやるから」
 肩にかけた手に力を込められ、宇都木は目を伏せた。
 このまま話さずにいてもいいのだ。ただ、そうすると、桜庭のことだけはずっと心の隅にあって、いつまでも苦しむことになる。
「……桜庭さんとのことです……」
 ぽつりと宇都木がその名を口にすると、触れている如月の身体が少しばかり強張るのが分かった。
「……ああ」
「私は……自分の勝手な思いこみで……暴走してしまいました……」
「そうだな」
「あのときはそれが一番いいと……最善だと思いました。貴方のためになる、情報をこっそり得て、彼の企みを逆手に取れる。本心からそう思ったんです」
「今は……どうなんだ?」
 チラリと如月が宇都木の顔を見るのが気配で気づいた。けれど宇都木は俯いたまま、如月の方を見なかった。
「私の判断はとてつもなく間違っていたと……反省しています。反省してもしきれないほど……私……」
「後悔しているんだろう?」
「はい……とても……」
 我慢していた涙がそこでこぼれ落ちた。泣くことで誤魔化すつもりもないし、慰めてもらおうと思ったわけでもない。ただ、胸を覆う熱いものが、涙となって現れた。
「未来が自分のことを正直に話してくれたから、私も正直に言うよ。なんとも思っていないといえば嘘になる。私は未来を愛しているからだよ。誰だって愛する人は自分だけのものとして独占していたいだろう?」
 そう言って如月は俯きがちな宇都木を、場所を弁えずに膝に跨がせた。
「独占したいんだよ……未来……私だけの未来だと、そこら中に叫びたいくらいだ」
 クスクスと笑いながら如月は困惑している宇都木を膝に乗せ、ギュッと抱きしめる。宇都木は落ちないように、如月の首に手を回してしがみついた。誰もいないことだけが救いだが、パタパタと洗濯物が風にはためく音が気になるといえば、気になった。
「邦彦さん……あの……ここは……」
「桜庭のことは忘れろ。もし、未来がまた思い出したら……そのたびに、私は嫉妬するぞ。名前を出されるだけでだ。未来を愛しすぎて……どうにかなりそうだよ……。だから、二度とこんな気持ちにはさせないでくれ……頼む」
 如月は宇都木の胸元に顔を擦りつけながら、言った。その言葉の重みに、宇都木は涙がとまらない。
「……うっうっ……ううっ……」
「未来……泣かないでくれ……」
 涙に濡れた両頬をそっと両手で包まれると、宇都木を見つめる青い瞳が真っ直ぐに向けられている。どこか懇願するようにも見える瞳は、どこまでも優しく澄んでいた。そんな如月の顔が流す涙で霞む。
「くに……ひ……こ……さん……ご……ごめんなさい。本当に……ごめんなさい……」
 如月にしがみつき、宇都木は幼い子供のように泣きじゃくった。そんな宇都木を、如月はしっかりと抱きしめて、嗚咽を漏らして震える身体を何度も撫でる。
「ほら、もう泣くんじゃない……いや、泣いてもいいか……。それでお前がすっきりするなら、泣きたいだけ泣くといいさ」
「うっ……ううっ……うう……」
 不思議なことに泣けば泣くほど、胸がすっきりとして、気持ちが楽になっていく。最後には涙も声も嗄れ、宇都木がようやく泣きやむ頃、如月が口を開いた。
「なあ、未来。泣くだけ泣いたら当分、笑顔でいてくれよ……」
 苦笑混じりにそう言った如月に、宇都木は泣いてクシャクシャになっていた顔に、笑顔を浮かべた。
 それは今までで一番、恋人には見せたくない、顔だ。
 けれど、今までで一番、飾らぬ笑顔だった。
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