Angel Sugar

「障害回避」 第37章

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「これは?」
 宇都木はテーブルに置かれた雑誌を手に取った瞬間、顔が青ざめた。

 謎の幼児白骨体に新たな疑惑が。
 巨大グループ企業との関係。

 見出しに書かれた文字を読み、宇都木は中まで確かめることができなかった。手に持っているだけで精一杯だ。
「先手を打ってきたようだね。出版社から新聞社の社会部まで押さえていたはずだったんだが、漏れがあったようだ。もっとも、漏れるほどの小さな出版社の三流ゴシップ誌だ。そんな記事など誰も信用しないだろう。明日発売されるらしいが、どうする?」
 真下は眼鏡を外し、目の間を揉んで、もう一度眼鏡をかけた。
「……いいえ。これ以上東の名前で動くのは……。信用のおけないゴシップ誌だと世間で認識されているのなら、なおさら下手に動かない方がよろしいかと。東が動いたとなると、事実と思われてしまう可能性が出てきます」
 宇都木は雑誌をテーブルに置いて、視線を外した。見ているだけで吐き気がしそうだ。
「私もそう考えていたところだよ。もっとも、この程度の出版社ならば、逆に東は動けないだろうという考えをもって、桜庭がこの情報をリークしていたとすると、彼も馬鹿ではないということだろうね」
 真下はいつもと同じ表情で、宇都木が手放した雑誌を取ると、パンと表紙を叩いた。特に腹立たしいという様子も見られず、最初から予想していたような気配すらする。
「……多分、そんなところでしょう。ただ、私の問題なら構わないんです。例のアミューズメントパークの談合の件さえばれなければ……。私が一番心配しているのはこのことなんです」
「桜庭は自分こそが取りたい物件としているのだろう?だったら、そこまでの動きはしないはずだよ。談合をリークすれば、その物件自体に悪い印象がついてしまう。その後でたとえ堂々と桜庭が落札したとしても、同じ穴の狢とひとくくりにされてしまう。自分のところは潔白だと証明するのはとても難しいからね。日本で手を染める初の大型物件なら余計に問題のない綺麗な物件として手に入れたいはずだ」
「……確かにそうです」
「ところで、邦彦は落札価格の提示を談合内ですませているのか?」
「ええ……。期日ギリギリに決めた方がよかったのですが……。こんなことになるとは思いも寄りませんでしたので……」
「まずいね。桜庭も湯水のように金を投資する権限はないだろうから、邦彦が予定している金額よりやや高値で落としたいはずだ。となると離反社が出た場合、桜庭に金を積まれてぽろりと話してしまう可能性が出てくる。もっとも、邦彦が一番それを理解しているだろうから、今ごろかけずり回っているだろうが……。ああ、立っているのが辛いだろう?悪かったね。座ってくれていいんだよ」
 宇都木がソファーに腰をかけると、真下は仕事で使うオーク材のテーブルに着いた。同時に電話が鳴り、真下が取る。
 内容を聞くわけにもいかない宇都木は、目を閉じて他のことを考えることにした。
 ゴシップ誌を如月が読むとは思わないが、目にしないとも言い切れない。きっと内容を読んで宇都木の過去を知るはずだ。
 知られたくないとあれほど考えていたのに、ここまで来てしまうと、仕方ない……という諦めに似たものが宇都木の中に生まれた。事実は変えられないのだから、いつか知られる機会が訪れたに違いない。
 あれほど如月に知られたくないと願ったことであるのに、今の宇都木は不思議と安堵していた。自分で話せない心の弱さを持っていることは分かっている。桜庭から如月に話されるのも嫌だ。にもかかわらず、ゴシップ誌で知られることに関しては、諦めがつく。
 じたばたしても自分の力ではとめられないことだからだろうか。
 それとも、心の底では知ってもらいたいと思っていたのか。
「宇都木、邦彦の方も随分と動いているようだよ」
 真下はにっこりと微笑んで、両手を組んだ。
「……はい」
「おや、驚かないんだね」
「ええ……。私が一生付いてきたいと願った方ですから」
「そうかね。ああ、今の電話は剣からだったよ。邦彦は離反社が出ないよう、各社に餌をぶら下げたようだ。これに関しては東さまと相談して、他の餌もちらつかせることにするよ。あと、株が動くね……」 
 真下はパソコンをパチパチと叩いていた。きっと株式市場を見ているのだろう。
「株ですか」
「秀幸の力を借りて大がかりな詐欺を働くようだ。もっとも東のことも考えずに動きそうだから逐一様子を窺わないと面倒なことになるだろうね。今の邦彦がそこまで頭が回るとは思えない。こちらは私の方で指示を出すしかないだろう」
 クスっと笑い、真下はなぜか楽しそうだった。
「失礼ですが、私にはとても真下さんが楽しんでいらっしゃるように見えますよ」
「ああ、難しい仕事をするときは楽しいんだよ。ん?宇都木は難しい仕事を任されたとき、それをどうするかと考える時間が楽しく思わないかい?」
「ええ……もちろん楽しいです」
 真下の楽しいと、宇都木の楽しいは少し違うような気がするのだ。もっとも真下がどういうふうに楽しんでいるかは、宇都木にもよく分からないが。
「クロスの大型取引が微妙に動いているね。桜庭の会社が保有する株をある時点で一気に暴落させる気でいるんだろう……怖いことをする。下手をすれば同じ業種が引きずられて一気に値を下げてしまうことを理解している集団のはずだが。せめて乗っ取りにすればいいものを……」
 独り言のように真下は呟いて、今度は電話をかけた。
「真下だが私財管理部に繋いでくれないか……ああ、私だ。如月秀幸に連絡を取って、大至急例の集団……ああ、例の集団で分かるだろう……の連絡先を聞き出して、桜庭の保有する株で、うちも所有している株を同額クロス売り、同額クロス買いの約束を取り付けてくれないか。多分、向こうもそれは承知の上だろうから断られることはないはずだよ。ああ、桜庭の保有する株が一気に下がるという情報が入ってね。問題が解決した後、値を正常に戻すにはうちの協力が必要不可欠だろうから、嫌とはいうまい。ああ、頼んだよ」
 電話を終えた真下は、宇都木の方を向いて言った。
「株は下げるのは簡単だが、上げることは非情に難しいということを、如月のところに戻ったら、私のいや、東家の苦情として伝えてくれないか?」
「え……あ、はい」
 宇都木は鮮やかな真下に見とれていて、言われたことの半分も耳に入っていなかった。



 夜遅く社に戻ってきた如月が、メールのチェックをすると兄の秀幸から入っているのを見つけた。すぐさま電話をかけると兄の秀幸は不機嫌そうに言った。
『……今度の仕掛けを真下さんの方には話していなかったのか?株を動かすときは一言声をかけるのが東グループで働く人間の義務だ』
「はは。そんなことは言わなくてもご存じだろうから、言わなかったんです。今度お会いしたときに謝罪しておきますよ」
『何事もやり過ぎるんじゃないぞ』
「分かっていますよ……兄さん」
 如月は電話を終えると椅子に深く腰をかけた。今日はあちこち出かけて身体が随分と疲れていた。少しだけ宇都木に会えて、ホッとしたものの、やはり側にいて欲しい気持ちは変わらない。香月が駄目だというわけではなかった。ただ、如月にとって仕事でも私生活でも宇都木が必要なだけだ。
「桜庭を潰してからだな」
 窓から見える景色はビル街のネオンで溢れている。なのに空は真っ暗で星は一つも浮かんではいない。それは宇都木という光を失った、如月の心のようだった。
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