「障害回避」 第25章
会議だ。
分かっている。
如月は苛立つように髪を掻き上げて、再度、神崎の携帯を鳴らした。
しばらくコールが鳴り響き、ようやく神崎が携帯に出た。
『……取り込んでるんだけどさ……』
小さな声で、不機嫌そうに神崎が言う。そのバックにはけたたましいベルの音が響いていた。どうも神崎は火災警報機を鳴らしているようだ。
……。
子供だましだな。
桜庭が火災警報機が鳴ったところで部屋から出てくるとは思えない。しかも、フロントに問い合わせればイタズラか、そうでないのか直ぐに分かる。本当に火を放てば良いだろうが、如月はできたとしても、神崎にはできないだろう。
「今からそっちにいく。何処にいるんだ?」
もう、会議など構っていられない。今、如月は宇都木のことしか考えられないのだ。たとえどんな状況を目の当たりにしても、宇都木を連れて帰るのだと如月は心に決めた。
『……無駄みたい』
情けない声で神崎が弱音を吐いていた。だが、如月はそう言う言葉など聞きたくなかった。
「いいから、何処だと聞いてるんだっ!」
怒鳴りつけるような声は、外にいる香月にも聞こえているだろうが、如月は構わなかった。
『だから……神田の……』
場所を聞きながら如月は椅子から腰を上げて、外へ出た。
怒りだけが今自分を支配しているのが分かる。廊下にいる香月は恐ろしい顔をした如月を見て、呆気にとられたのか、引き留めることもしなかった。
「イタズラだそうだよ……」
桜庭はサイドテーブルに受話器を下ろして、何故かニヤリと笑った。
「そうですか……」
触れられている間中感じていた嫌悪感はまだ身体のあちこちに残っていて、気持ちが悪い。裏切ってしまったという深い後悔が、心の中にずっしりと重くのし掛かって、今にも潰れてしまいそうな気になる。
それでも決めたのは自分自身だ。
この後、どうなろうともう宇都木にはどうでも良かった。
自分が酷く自暴自棄になっているのが分かる。自分の存在自体も嫌で仕方ない。いずれ如月もこのことを知るだろう。結果、何が待っているのか考えなくても充分心得ていた。
「それで、私の仕事を手伝うために、うちのオフィスに来てくれるのはいいが、住まいはどうする?如月のところから出てくる気があるのなら、マンションを用意するが。もっとも、私は通いでも全く問題はないがね」
宇都木は毛布にくるまったまま、桜庭に背を向けた。
どこか勝ち誇った顔をしている男の顔など見たくない。
「……結構です。自分で探します」
「探すと言っても直ぐに引っ越しはできないだろう。その間、何事もなかったような顔で如月にも抱かれるんだな。だが、昼間は私に抱かれる。……意外に、淫乱だ」
耳元で囁くように言われ、宇都木はギュッとシーツを握りしめた。
「どうとでもおっしゃって下さい」
「私は別に構わないぞ。それで、如月と私、どちらが感じた?」
からかうような声で桜庭は言い、小さく笑う。
この男の首をかき切ってやりたい気分に宇都木は襲われていた。だが、もちろん、そんなことはできない。変わりに唇を噛みしめることで衝動を抑えた。
「な、君が浮気をしていることが如月にばれたら……あの男、泣いてみせてくれるだろうか?」
宇都木の顔を覗き込み、桜庭はまるで舌なめずりでもしているような様子でそう言った。
「しばらく黙っていられないのですか?」
横目で睨み付けると、桜庭は肩を竦めて見せた。
「……ベッドの中での睦言はお嫌いらしい……。まあいい」
桜庭は再度宇都木の身体に乗り上がると、身体を擦りつけてきた。すると収まったはずの鳥肌がまた立ってくる。
「せっかく君から来てくれたんだから、サービスはしないとね」
顎を無理矢理掴まれ、顔を桜庭の方へと向けられる。
「もう結構……っ!」
力を失っている雄を握りしめられて、宇都木は呻いた。
「君は自分の立場が分かっていない。どれほど否定しようと、君はもう、私の奴隷に過ぎないんだよ。理解しているか?」
息が付けないほどねじり上げられて、宇都木は瞳に涙をにじませた。自分から飛び込んだとはいえ、後悔の言葉が心の中で大きく膨れあがる。だが、弱みを見せるわけにはいかなかった。
「……私は奴隷になったつもりはありません。貴方の寝首をかこうとしているんです。それは貴方も分かっていらっしゃるでしょう?」
「もちろん。かかれる前に組み敷いて、何度も陵辱してやるさ。そうだな。如月の前で犯してやる方が、いいかもしれない……」
酷薄な笑みを浮かべて桜庭は、握りしめた宇都木の雄を擦りあげる。
身体は正直だ。
外部からの刺激に反応して、一度収まった熱がまた復活し始めた。
嫌だ……。
心の中ではそう思うものの、抵抗できない。この男の提示した条件をのんだのは間違いなく宇都木なのだ。
「……嫌悪感と快感が混ざったような顔をしている……いい顔だ」
本格的に身体を重ねてきた桜庭を宇都木は押しのけることをしなかった。
嵐が過ぎ去るのを待つ。それしか方法がない。
「……っ……」
首筋から肩へと愛撫され、宇都木は血が滲むほど唇を噛みしめた。この男の愛撫に快感を感じる己を切り裂いてしまいたくなる。
最初は嫌悪感だ。
だが、いずれ、時間と共に淫靡な快感で流されていくはずだった。
「この身体……如月も味わっているんだな……。そう思うとゾクゾクするよ」
舌を這わせながら、桜庭はうっとりと言う。
「……く……っ!」
噛みつかれた胸の突起が固く強張っていくのが分かる。手の平が胸元を揉み上げ、冷えて凍っている身体の温度を無理矢理上げるつもりなのだろう。
「……あ……っ……」
掴まれている雄がきつく擦りあげられて、宇都木は思わず声を上げた。熱い息が鼻から抜けていくのが自分でも分かる。嫌だと、触れられたくないと思いつつ、桜庭の愛撫に身体は感じているのだ。
邦彦さん……。
急に遠くなってしまったような恋人の名前を心の中で呟いて、宇都木は涙を堪えた。こんな日が来てしまうとは自分でも考えられなかった。
愛され、一人の人間として必要とされていた、あの穏やかな日々はいつ失われてしまったのか、自分でも分からない。ただ、壊してしまったのは自分自身で、如月ではない。守りたい、どうあっても手放したくない居場所を、自分から放棄したのだ。
どうせすぐに知られてしまうのだ。
身体に残るキスの痕はどうあっても隠し通せない。
如月はどう言うだろうか。
罵声を浴びせるのか。それとも、冷えた目で宇都木から去るのか。
……ごめんなさい。
もともとこの身体は如月だけを知る身体ではない。他の男も知っている身体だ。合意か、そうでないかの違いだろう。とはいえ、自ら身体を開いて見せたのは如月だけだった。
それだけは言える。
だが、それも、免罪符にはなり得ないだろう。
もういい……。
全てを諦めた。己の過去を含めて、如月には言えなかったのだから、最後まで口を閉ざすことでしか、もう自らを慰めることができない。
愛しているのは如月だけだ。
それだけ、自分の中に存在すればいい。
「抵抗してくれてもいいぞ」
桜庭の言葉に、宇都木は答えなかった。
「……面白くないなあ……」
そう、桜庭が言ったと同時に、部屋の扉が激しい勢いで叩かれた。